『能面殺人事件』読後
高木彬光の作品は、まだ一つしか読んでいない。
『能面殺人事件』(1949)である。
作者と同名の探偵・高木彬光と、怪人・千鶴井麟太郎の強烈な個性が際立っている。
逆に、この二人が出てこない場面は少々退屈だった。
また、好きになってはいけない人を好きになり、見てはいけないものを見てしまった千鶴井佐和子の悲哀が心に残った。
やや奇異なのは、大の男が涙する(しそうになる)シーンが多いことだ。
執筆当時の作者の心性を物語っているのだろう。
残念ながら、落涙する登場人物たちほどには、読んでいて感動できないことがほとんどだったが。
戦後まもない時期に書かれたこともあり、倫理的相対主義への危惧や、法で裁かれぬ巨悪への憤りが見られる。
これらは、作中でも類比されているように、戦争犯罪の問題とオーバーラップする。
ただし、私利私欲による殺人と、義憤による復讐殺人とを峻別したがる登場人物たちの姿勢には賛同しかねる。
義憤による殺人にシンパシーを抱くのも、一種の倫理的相対主義だからだ。
また、作者は運命論者であり、悲劇の連鎖を運命・宿命として描こうという意図があるようだ。
だが私利私欲の殺人や暴力に続いて、それに対する復讐が起こるのは、運命の神秘などではなく、人間の不完全さによるものではないか。
さらに、作品の終盤では、自らの死を覚悟すれば人を殺してもよいかのようなメッセージを発してしまっている印象がある。
これでは戦時中の玉砕主義と変わらない。
トリックは地味だったが、犯人のうっかりミスが興味深かった。
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