恵(kei)

もうちょっとで20歳。 youtubeもしています。 https://www.youtube.com/channel/UCk9idPLMvNOYYb2BuraHUvQ?view_as=subscriber

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最近の記事

日記

某月某日 「はっきりさせれば、いよいよ救われるはずだ。」と長年思っていた。 しかし過日、「はっきりさせない方が良い。」ということが、皮肉にもはっきりしてしまった。 女心は秋の空、なんて可愛いものじゃない。 気持ちの波が酷いし、完全に私自身がその波に飲み込まれてしまっている。 自己管理能力が低い。自分を律するということができない。 要領がどうしようもなく悪い。上手くやろうとすれば、その分だけ空回る。 というか、そもそも頭が悪い。これに尽きる。 これから、どうやって生きて

    • 均衡

      私は、私の小さな核の中で生きている。 小さくて、壁が厚い核だ。 気分が良ければ、窓を開ける。 雨が降り始めたのは2、3週間くらい前だった。 最初は小雨だった雨は、「不意に」大雨に変わった。 雨は、大変に我慢強かった。 意地になって降り続けた。 雨は川を氾濫させた。 私の核の床も、少し濡れてしまった。 そして、音もなく停電した。 私の核の中は真っ暗になった。 充電器も、電話も、扇風機も、電子レンジも、何もかも使えなくなった。 ついには、土砂崩れがおきた。 ほとんど意地にな

      • 神様だって、信じてもらえなかったら死ぬでしょう。

        • 返信

          ―もしもし。 手紙、受け取りました。 こちらには、あなたが思うような天国と地獄はありません。 ただ、所謂「輪廻転生」のような仕組みがあります。 私の来世は、「地獄」だそうです。 色々と書きたいことはありますが、時間がありませんのでこの辺で失礼します。 では、またそちらで会いましょう。 追伸 私が言うことではありませんが、どうかご自愛ください。

          確定事項

          ―もしもし。 お元気ですか。 天国に着いたら、手紙を下さい。 地獄でしたら、結構です。 私もそちらへ行くことになるでしょうから、地獄で会いましょう。 それでは、連絡待っています。

          痛いと思う

          「痛いのかな。」 「はい。」 「これは?」 「痛いです。」 「止めてあげよう。」 「はい。」 「これでもう、痛くないかな。」 「あの、ずっと痛いです。」 「なぜ。」 「痛い、と思うんです。」 「じゃあ、そう思うのを止めなさい。」 「痛いです、痛いです。」 「しょうがないな。」

          痛いと思う

          だって、まだ生きてる

          「お久しぶりですね。」   「はい。」 「顔色が、随分良くなりましたね。」 「はい。」 「まだ、怒っていますか。」 「はい。」 「許してもらうことは、無理ですか。」 「…すみません。」

          だって、まだ生きてる

          なんでこんなこと書いちゃうんだろう

          意味が分からない人間なので、それに相応しく意味の分からない文章を書きます。私自身でも意味が分からないので、書きながら整理します。正しくいえば「分からない」じゃなくて、「気づけていない」でしょうか。「分からない」から「気づく」、そして「分かる」のプロセスって恐ろしく長いですよね。大体はもう手遅れです。手遅れになったタイミングがちょうどこのプロセスが完了する時と同じなのか、それとも手遅れになるということがこのプロセスを達成する条件になっているのかは分かりません。でも、大体は手遅れ

          なんでこんなこと書いちゃうんだろう

          偶然、偶然

           生まれたときから目が見えないんだ。ただ僕は最初から「見えなかった」わけだから、そのところでは、まぁ、少しは救われているかなって思うよ。だって最初から夢なら、それは夢ではなくて現実だろう。つまりそういうことだ。「見える」と「見えない」は対義語で、僕には「見える」が初めから無いのだからこれは「見えない」わけじゃないんだ。  理屈っぽいだろうか?でも、許してほしい。僕は見えないのだから、頭で考えるしかないんだ。    意地が悪い言い方をすれば、その男は目が見えない分よく喋る男だっ

          偶然、偶然

           いつからか喋れなくなっていた。しかし僕は12歳の頃から喋らないようにしていたので、いつから喋れなくなったのかは分からない。 喋れないということ自体に気づいたのは、つい先日のことだった。その日、僕は酷く体調が悪かった。冷や汗が止まらず、吐き気が絶え間なく続いた。吐き気は時間が経つごとにどんどん酷くなった。だから、僕はトイレで吐こうとした。ただ、吐けなかった。正確な時間こそ分からないが、こういうわけで僕は長い間トイレに籠っていた。その内、母さんが心配して様子を見に来た。母さんは

          三角形の内角の和と、

          数学って、苦手。 掴みどころがたくさんありそうにみえるけど、掴めない。 例えば、公式は数学を掴むためのものにはならない。 公式を使ってすらすらと解けていると思える時こそ、私は数学の手のひらの上で転がされている。 その手のひらは分厚くて、広い。 指先の方は遠すぎて、とてもじゃないけど見えない。 手のひらの下をそっと覗き込む。 真っ暗で、底なし。 「一体、何人が落ちたのかしら。」と思うと、怖くなる。 私は高校で数学ⅡBまでを学んだ。 二次関数、数列、三角比、ベクトル…。 一通り

          三角形の内角の和と、

          小川洋子さんが大好きです。

          1人でできる。 飽きることがない。 天気だって関係ない。 どこでも、どんな姿勢でもできる。 だから、本が好き。 初めて好きなったのは16歳の夏。 現代文の教科書に載っていた小川洋子さんの『果汁』。 あれが、私を魅了した。 少年のまだ不確実な恋、少女の「壊せばいいわ。」の秘密めいた響きと音が聞こえてくるような大胆な行動、一面のキーウイ。 そして今までのどこか消えそうで謎めいた描写から一転した、ラストシーンでの痛いほどリアルな彼女の涙。 筆者の作り出す世界観、背中をさするよう

          小川洋子さんが大好きです。

          紅茶と香水と、お母さん

          小学生の時。 冬になると、温かい紅茶を入れた水筒を学校に持って行った。 お母さんが準備してくれた、お砂糖たっぷりの甘い紅茶。 それは保温機能抜群の赤い小さな水筒に入れられたこと、一度熱湯を注いで水筒の中を温める手間をお母さんが惜しまなかったことにより、中々冷めなかった。 学校ではその甘くて温かい紅茶を少しずつ飲んだ。 私はこれが大好きだったけれど、一気に飲んでしまうようなことは無かった。 家に帰ってからも飲めるように、小学生の私は計算して少しずつ飲んだ。(飲み切ってしまうこと

          紅茶と香水と、お母さん

          世の中がまだまだ新型肺炎で落ち着かない中、私は1人で春を感じている。 日差しがだんだん暖かくなってきたこと、桜色のリップとくすみピンクの女の子らしいブラウスも買ったことで気分はすっかり春である。 気持ちは明るい。 私は、ここしばらくそんな感じである。 これから先60年は続くであろう人生に対しての鬱々とした感情、いつだって吸い込まれてきた悲しみ、捨てきれない粘着性の憎しみ、経験則から「やっぱり何もできない」と自覚したときに現実味を帯びた絶望、ある種の狡猾さをもつ自分への軽蔑。

          指のない彼とのこと

          前の記事でも触れたように、私は少しの間児童相談所の一時保護施設で暮らしていた。 入所から1か月ほどで自宅に戻ることはできたけれど、その後も大体月に1度のペースで児童相談所に通うことになった。 そこは結構へんぴなところにあったので、バスがあまり通ってなかった。 そのため児童相談所の職員さんが送迎をしてもらえるように手配してくれた。 「着いたら運転手の人がインターホンを鳴らすと思うから、そしたら車で送ってもらってきてね。」 私が初めて送迎してもらった日。 学校から帰って、家で

          指のない彼とのこと

          超数弱が数学をどうにか乗り越えるためのテクニック

          今年も進学の季節になりました。 進学する方も進級する方も、おめでとうございます。 あなたの1年が実りの多いものになることを願っています。  さて、この記事の内容は超初歩的な数学の勉強の仕方と、数弱だった私が高校3年間で身に着けた数学を勉強する(乗り越える?)上での小さなテクニックたちです。既に高校を卒業した身なので成績を証明できるものが何もないのですが、読むだけは無料ですので是非テクニックを盗んでいってください。  ここでは超初歩的なことを書くつもりですので、「この参考書

          超数弱が数学をどうにか乗り越えるためのテクニック