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紅茶と香水と、お母さん

小学生の時。
冬になると、温かい紅茶を入れた水筒を学校に持って行った。
お母さんが準備してくれた、お砂糖たっぷりの甘い紅茶。
それは保温機能抜群の赤い小さな水筒に入れられたこと、一度熱湯を注いで水筒の中を温める手間をお母さんが惜しまなかったことにより、中々冷めなかった。
学校ではその甘くて温かい紅茶を少しずつ飲んだ。
私はこれが大好きだったけれど、一気に飲んでしまうようなことは無かった。
家に帰ってからも飲めるように、小学生の私は計算して少しずつ飲んだ。(飲み切ってしまうこともあったけれど。)
お母さんは不規則な仕事で学校から帰っても居ないことが多かった。
だからそうしていたんだと、今になって思っている。

 もっと私が小さい頃、お母さんはイヴサンローランのベビードールという香水をつけていた。(最近お母さんに聞き出して、ようやく名前が分かった。)これが私の記憶に色濃く残っている。シーツから、抱きかかえられた時に鼻を埋めたお母さんの衣服から、車の運転席から、なんとなくこの香りがしていた。お化粧をしていつもより少しだけ華やかに整えられたお母さんとこの香りはセットだった。嫌味のない上品な甘い香りだったことを覚えている。私にとってこの香りは「イヴサンローランのベビードール」ではなく「お母さんの香り」であることは今も昔も変わらない。

 私は、もうすぐ20歳になる。紅茶は自分で淹れられるようになった。お砂糖は入れない。ストレートの紅茶と甘いものを合わせることが多いから。それに「お母さんに淹れてもらう」より「お母さんに淹れてあげる」の方が、もしかしたら今は多いかもしれない。   
 今日はルピシアの「クッキー」というフレーバの紅茶を淹れた。お湯を注いだ瞬間から広がったバニラのような優しい甘い香り。私は「甘い紅茶」のことを思い出した。そして、思い立ってお砂糖を入れてみる。

まずはスプーン1杯。
あれ、全然甘くない。
一気にスプーン2杯を追加。
甘い。けど、まだ全然足りない。
ダイエットしてるんだけどな、と控えめにもう1杯。 
やっぱり、まだ全然足りない。

カロリーが気になって、そこで止めた。
あの「甘い紅茶」は一体どれくらいのお砂糖が入っていたんだろう。
それとも、私の「甘い」という記憶が強すぎるのだろうか。
 
 いつか、お母さんと同じ香水が欲しいと思っていた。でも、どうやら廃盤らしい。もうあの香りをかぐことは一生できない。残念と思った反面、良かったとも思った。もう生産されていないのだから、あの香水をつけた人と会うこともない。だから、ずっと「お母さんの香り」のままだ。それにこういう記憶は経験則からしても、更新しない方がいい。

甘い紅茶はもう飲まないし、あの香水はどこにもない。

 私はもうすぐ20歳になる。
思い描いていた20歳とはかけ離れているけれど、私は「今」を結構気に入っている。
お母さんも、私と同じ分だけ年を重ねた。
もう香水はつけていない。

そういえば今日、「手首の痛みが治らない」と言っていた。

「いつから?」
「3日くらい前かな。」
「湿布を貼っているのに治らないの?私はそれを貼ったらすぐ治るよ。」
「それは、あなたが若いからよ。」

慣れた手つきで湿布を貼るお母さんを見て、はっとした。
そうか、お母さんも年をとるんだ。
いや、そりゃそうだよね、何を今さら。
湿布を貼るお母さんの手は、骨ばっていて、肌が荒れていた。

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