なんでこんなこと書いちゃうんだろう

意味が分からない人間なので、それに相応しく意味の分からない文章を書きます。私自身でも意味が分からないので、書きながら整理します。正しくいえば「分からない」じゃなくて、「気づけていない」でしょうか。「分からない」から「気づく」、そして「分かる」のプロセスって恐ろしく長いですよね。大体はもう手遅れです。手遅れになったタイミングがちょうどこのプロセスが完了する時と同じなのか、それとも手遅れになるということがこのプロセスを達成する条件になっているのかは分かりません。でも、大体は手遅れです。しかも「手遅れ」と気づくのに、私は他人より時間がかかります。ただ単に愚図なんです。というか「私」を説明するのには「愚図」の一言で事足ります。自虐とかじゃないんで、放っておいて下さい。「私」が「私」じゃない場面なんて山ほどありますが、総括しているのは「私」でその「私」だけはいつでも「私」なので。愚図というのは、その「私」が言っていることなので間違っていません。自虐はちゃんと、自虐担当の「私」がいるので。

私って頭がおかしいのかなって自覚したのは14の時です。
でも自覚するということは、つまり「頭がおかしくない」時期があったということだと思います。ずっとおかしいのなら、それはもう正常だとは思いませんか。

ごめんなさい、問いかけみたいな口調は止めます。
誰かに理解してほしいわけじゃないので。共感・同情・理解・慰め、どれも結構です。そういうのは善意か悪意か分からないものが多いので、全て受け止めないようにしています。

死のうと思ったのも14の時です。言うまでもなく、死ねなかったのですが。ともかく、その頃の私は、生きることができないなら死ぬしかないと思っていました。「生きる」と「死ぬ」、どちらかしかないと思っていました。その2つの間に「まぁ、適当にやり過ごす。」があるということに気づいたのはつい最近のことです。プライドとか無いので、私にはそれで十分です。自分にプライドを持てるほど、自分のことを大事だとか思っていないので、プライドはありません。でも、そんなことを言っておいて「プライドを持たないというプライド」がある気もします。結局、自己防衛でしょうか。じゃあ自分のことをを大事に守っているのかと言うと、そうではなくて、守っているのは過去の「私」です。今の「私」は、結構どうでもいいんです。

さて、いつから頭がおかしくなったのか。スイッチが切り替わるようなものじゃないので、分かりませんが、ゆっくりと変化していったと思います。
おかしいということは、どういうことか。上手く言えないんですけど、上手く言えないような感じでおかしいんです。人の話が 聞こえなく なります、どちらが夢か分からなくなります。
改めて書くと、馬鹿みたいですね。嘘みたいだ。だからこういうことを文章にするのは苦手です。私の大好きな作家さんが「いい小説とは、あらすじを話した途端に薄っぺらくなるものだ。」というようなことを言っていました。多分。

たまに、どうやって生きていけばいいか分からなくなります。昔に比べて回数は少なくなりましたが、0にはなりません。
『「どうやって」って、それはつまり「こうやって」…』ということじゃないんです。
というか、そもそも「どうやって生きていくか」についてなんて考えたくないんです。「どうやって生きていくか」ということ自体を思いつかないようになりたいんです。つまり、その概念を知る前に戻りたいんです。これって可能なのでしょうか。それとも、これは言わば「禁断の果実」でしょうか。一度食べてしまえば、二度と元には戻れないという。

そういえば、トラウマ?フラッシュバック?は防衛本能らしいです。また同じようなことが起きないように、起きてしまったとしても逃げれるように、脳が記憶しているらしいです。私はそんなものは持っていないので、どうなのか分かりませんが。実際はどうなのでしょうか。生かしたいのか、殺したいのか、微妙なところですね。いつか、進化した脳に殺される日が来そうですね。

いよいよ、何を書いているか分からなくなってきました。夜中に物を考えてもいいことはないですね。それは経験則からも分かっているので、もう寝ます。疲れたし。

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