見出し画像

スーパー戦隊シリーズ第24作目『未来戦隊タイムレンジャー』(2000)

スーパー戦隊シリーズ第24作目『未来戦隊タイムレンジャー』は「ギンガマン」「ゴーゴーファイブ」で実績を挙げた小林靖子女史の作家性を確立した作品です。
多くの戦隊ファンが本作で小林女史の名前を意識したのではないでしょうか?かく言う私も本作で改めて女史の作家性を認識したと言う感じでしたし。
初メインの「ギンガマン」はもちろん優れた傑作なのですが、どちらかと言えばあれは脚本の力だけではなく高寺Pの力や演出家の色もうまくブレンドしていました。
それに作品自体が子供向けのストレートな王道路線だったので、後年見せることになっていく「黒靖子」のような強い癖はそこまで出ていなかったと思います。

その点本作は設定からキャラからストーリーから、そんな小林女史の癖が前面に出ており、これは評価の良し悪しはもちろん好き嫌いがかなり別れるだろうなと思ったものです。
前作「ゴーゴーファイブ」の批評文で「高評価」だけども「好きではない」と書きましたが、本作もそれは同じで「高評価」だけれども「好きではない」という位置付けになっています。
その理由は具体的にこれから述べていきますが、一言で言えば「明らかに子供を置き去りにした内容だから」なんですよね…これはかなり痛手だったのではないでしょうか。
まあそもそも小林靖子女史がメインライターを務める作品は戦隊・ライダーを問わず「ギンガマン」以外かなり設定やストーリー展開が難しめで子供を置き去りにしているんですけれどね…。

まあそんなことを言えば、シリーズ最大のエポックである「ジェットマン」も大人向けなのですが、あれは確かにドラマこそ複雑ですが、一応戦隊シリーズのフォーマットは守っていました
それに主題歌は影山ヒロノブさんが歌っていますから子供でも歌いやすいですし…それに対して本作はもう主題歌が女性歌手というのもそうですが、メロディも歌詞も難しいのです。
かなり哲学的で抽象的な歌詞ばかりなので、子供はおろか大人でも歌えねえよこんなのっていう…まあそんな極端なことをした代償は歴代最低クラスの玩具売上ではっきりと出ましたね。
その分子供人気はお隣の「仮面ライダークウガ」が持っていった感じなので、ちょうどいい感じに棲み分けはできていたのかなと…そんな本作ですが、作品のクオリティは非常に高いです。
こんな書き出しで申し訳ないのですが、改めて本作の魅力について分析していきましょう。


(1)壮大なSF設定とタイムレンジャー5人の等身大のドラマのシンクロ

まず本作最大の設定というか「ギンガマン」と併せての本作の魅力は背景にある壮大なSF設定とタイムレンジャー5人の等身大のドラマのシンクロにあり、これが実によくできています。
タイムレンジャーの5人は西暦3,000年からやってきた未来人4人と現代の若者が出会うところから始まるのですが、全員共通しているのが「明日を変える」という目標を持っていることです。
その上で本作の特徴は「内的(=私的)動機>外的(=公的)動機」であり、前作までとは価値観が完全に逆転してしまっていて、これもまた大きなパラダイムシフトと言えるでしょう。
本作では外的(=公的)動機が「ロンダーズファミリーを全員逮捕すること」であり、内的(=私的)動機が「明日(=目の前にある自分の運命)を変えること」にあります。

基本的にこれまでの戦隊は外的(=公的)動機と内的(=私的)動機を常に天秤にかけながら、最終的に外的(=公的)動機の方に重きを置いてきました。
ところが「ギンガマン」でこの外的(=公的)動機と内的(=私的)動機が完全に等価値になってイコールで結ばれ、それは「ゴーゴーファイブ」も変わりません。
その上で前2作が「外的(=公的)動機も内的(=私的)動機も双方を満たす」というのが最終的な答えだったのに対して、本作は「内的(=私的)動機を満たすために外的(=公的)動機を破る」が答えでした。
これもまた「ジェットマン」「カーレンジャー」とは違う形のシリーズのタブーに踏み込んだことになり、最終的に地球の平和よりも自分の明日の方が大事だと主張するのです。

この設定は本来なら「なんて身勝手な連中だ」と批判の対象になりますが、本作はそもそも戦隊としてやっていることが「犯罪活動の防止」であって、「ジャッカー」「デカレンジャー」「ルパパト」とやっていることは変わりません。
要するにその辺のご近所騒動を収めているだけの、言ってしまえば狭い箱庭世界の話であり、「ギンガマン」「ゴーゴーファイブ」のように広範囲のものを守っているわけではないので世界観の拡張性がないのです。
これだけならそれこそ戦隊版「ドラえもん」で終わっていたでしょうが、それを感じさせないのが「1,000年という歴史を超えている」という背景にある壮大なSF設定にあります。
この「時間の流れ」を感じさせることによって作品世界に重厚感と奥行きを持たせることに成功し、本作が単なる狭い箱庭世界の話に終始しないで済んでいるのです。

更にその「明日を変える」も内容が細かく、竜也は父親(と直人)との確執、ユウリはドルネロへの復讐、アヤセが不治の病であるオシリス症候群、ドモンがホナミとの恋愛、そしてシオンが故郷を失った孤独とあります。
このように各キャラクターに縦糸とは別の横糸の目的が設定されているのは「ダイレンジャー」→「ギンガマン」と継承されているスーパー戦隊の作劇ですが、本作でそれが1つの極みに到達したしたのです。
歴代戦隊でもこれほど「個人の欲望」に向き合って描いた戦隊は他になく、それがきちんと成立するだけの背景設定と世界観を用意周到に築き上げたという点においても正に「ミレニアム」な希少性の高さを感じます。
ギンガマン」でもそうでしたが、こういう背景設定と等身大のキャラのドラマがしっかりとリンクしているのはこの時期の小林女史が相当に意識した部分であったのではないでしょうか。

(2)圧縮冷凍という神設定と個性的なロンダーズファミリー

(1)で述べた特徴をわかりやすく象徴しているのが「圧縮冷凍」というSFガジェットであり、これは「ギンガマン」で小林女史が示した「アース」のようなものであると言えます。
この「特徴的なガジェットを創造することで戦士の個性や戦う意味を規定する」をきちんと練り上げたのは「ギンガマン」が提示したもので、前作「ゴーゴーファイブ」もそれを継承しました。
しかし前2作はそのバックボーンにあるものがそれぞれ「チェンジマン」や「レスキューポリスシリーズ」であり、言ってしまえば過去作品から特別に飛躍したものではありません。
その点、本作の「圧縮冷凍」という「敵を倒さずに逮捕する」は一見過去のレスキューポリスシリーズの延長線上と思わせておいて、実は過去作品になかったものです。

この「敵を倒さずに逮捕する」を代弁するガジェットとしての「圧縮冷凍」があるからこそ、本作が勧善懲悪を超えた大人のドラマを表現することを可能にしたと言えるのでしょう。
本作のこの設定は過去作品のいずれをも凌駕しており、しかも後の作品にもない設定(強いて近いのは「ルパパト」位か)として最高峰の神設定であると言えます。
だからこそ本作のタイムレンジャーの変身後のキャラクターは「メガレンジャー」と同等かそれ以上に没個性なのですが、それが欠点にならずに済んでいるのです。
つまり本作は「カーレンジャー」〜「ゴーゴーファイブ」までのSF設定をしっかり吟味した上で、それらと差別化を図るガジェットを独自に誕生させたと言えます。

また、この圧縮冷凍という独自性の強い設定があるからこそ、3,000年からやってきた犯罪組織・ロンダーズファミリーという敵組織もまた立っているのです。
ロンダーズファミリーは歴代で言うと「ジャッカー」のクライムという国際組織を零細企業レベルにミニマイズしたものであり、歴代でも最弱レベルの敵組織でしょう。
終盤で大消滅を起こしていますが、基本的な目的は「金儲け」であって、ボーゾックとかとは違って一応社会のルールみたいなものはしっかり守っています。
レストランで食事するときも一応金は払っていますし、しかも場合によってはタイムレンジャーと取引や呉越同舟もあるので、割とグレーゾーンです。

しかも最終的に組織そのものが壊滅してしまっても、そのプロセスである程度の金銭的な利益は得ているので、他の悪の組織とは違い100%負け通しではありません
どうしてもスーパー戦隊シリーズは「敵組織が結局負けっぱなし」となるのですが、そういうのがなくタイムレンジャー組織の経営力で負けていないのです。
なんなら未熟な若者のベンチャーであるタイムレンジャーよりも裏社会に通じているロンダーズの方が一枚も二枚も上手なので基本的に負けません。
最終的に組織を畳んでしまうものの、全滅はしないややこしさ、面倒臭さがリアルに最後まで立ち塞がるところがロンダーズファミリーの特徴でしょう。

(3)滝沢直人=タイムファイヤーという第三勢力

後半に入ると更に物語が複雑化していきますが、その大きな要因としては第三勢力として立ちはだかることになる滝沢直人=タイムファイヤーです。
彼はいわゆる「追加戦士」「番外戦士」の立場で動くことになりますが、前作までと違うのは「利害関係」でしか動かないというところにあります。
それまでの戦隊シリーズの追加戦士・番外戦士は色々試行錯誤はありましが最終的に「6人目」として味方側に与して動き目的は一致しているのです。
ところが滝沢直人=タイムファイヤーはタイムレンジャー5人と全く違う価値観、目的で動いており、しかも最後までまるで噛み合いません。

今風に言う「照れ隠し」「ツンデレ」「塩対応」とは違い、直人は自分の欲望には忠実で基本的に本音は包み隠さず竜也たちにぶつけています。
しかし、出世欲であるとか駆け引きとかになると小狡い策士の側面を見せており、自分が生き延びるための冷静な計算をしっかり行っているのです。
言うなればナメック星編のベジータのようなもので、単なるクズな男ではなく状況に応じて「戦闘」と「損切り」を使い分けることができます。
正しい意味での「世間ずれ」を起こしている人物であり、欲まみれではありますが社会人としての出世欲などは人一倍強い男なのです。

竜也との関係もいわゆる「宿命のライバル」というよりは「利害関係の上で邪魔だからぶつかる」以外にはなく、しかもほとんど一方的に絡んでいます。
これは一見したところ「ギンガマン」のリョウマと黒騎士ブルブラックと似ていますが、リョウマとブルブラックにはまだ「星を守る戦士」という共通の土台がありました。
しかし本作の竜也と直人には「かつて空手で競い合った」「同じ大学だった」以外の繋がりはなく、竜也は旧友と思っているが直人は基本憎しみしかありません。
ここに大きなズレがあり、しかもそのズレが修正されるどころかより肥大化していき、終盤ではとんでもないズレとなってお互いに違う運命へ発展していきます。

(4)複雑に入り組んだ終盤の展開

さて、終盤の展開は複雑に入り組んだ展開となっていますが、一言でまとめると「運命に選ばれた者と選ばれなかった者」ではないでしょうか。
大消滅を防ぐために各自が行動した結果、竜也たちタイムレンジャーは生き残り、直人と黒幕のリュウヤ隊長は死の運命から逃れられませんでした。
全員が同じ「明日を変える」ことを目的として動いているはずなのに、何がお互いの差を分けることになってしまったのかはわかりません。
まあ「作劇の都合」と言われてしまえばそれまでですが、単なる話の都合ならばリュウヤ隊長と直人を死なせる必要はなかったはずです。

まあリュウヤ隊長は確かに演出や脚本の上で出来上がったものだけを見れば腹黒い悪者に見えますが、表立って悪いことはしていません(それが大変にタチが悪いのですが)
直人にしたって、出世欲が強いだけで彼自身は何もしておらず、死ぬという結末が描かれたのは単なる役者の希望を小林女子が反映したからと言われています。
それではなぜなのかというと、詰まる所「そもそもそういう運命にあった(=生き残れない敗者だった)」ということに尽きるのではないでしょうか。
身も蓋もない言い方になりますが、そもそもリュウヤ隊長と直人には歴史を変えられる側の人間ではないとあらかじめ決められていたのでしょう。

これを示唆するセリフとして、竜也の父の「勝者はあらかじめ決められている」というセリフがあり、結局大きな歴史のレールの上で決められていたことなのです。
竜也たちタイムレンジャーの5人は運命を自分で決められる、変えられる力を持っていたのであり、リュウヤ隊長と直人はそれを持っていなかったということでしょう。
そもそも1,000年の歴史とか大消滅とかいう大きなものを個人が変えられる時点で本当はおかしいわけであり、それができるのはほんの一握りの人間しかいません。
そのほんの一握りの人間こそがお金持ちに生まれた竜也をはじめとするタイムレンジャーたちであり、彼らは最初からそういう役割を背負っていたのではないでしょうか。

複雑に入り組んでこそいますが、結局のところ人生は「なるようになる」し「なるようにしかならない」という結末に落ち着いていきます。
小林女史が最終的に竜也と4人の別離のその後を描かなかったのも、それを視聴者の想像に任せることで破綻を防いだからなのです。
そう、本作は表向き「若者が未来を切り開いている」ように見せておきながら、実は「それができるのはごく一部の人間だけだ」とシビアに断じています。
単なる能天気な希望的観測ではなく、シビアな現実論を描いたものになっているという俯瞰した冷静さこそが本作をギリギリのところで大人の文芸に仕立てているのでしょう。

(5)「タイムレンジャー」の好きな回TOP5

それでは最後にタイムレンジャーの好きな回TOP5を選出いたします。これもやはりアベレージが高いので選ぶのに苦労しましたが、ぜひご覧ください。

  • 第5位…Case File 21「シオンの流儀」

  • 第4位…Case File 7「ドモン入院中」

  • 第3位…Case File 30「届け 炎の叫び」

  • 第2位…Case File 2「見えない未来」

  • 第1位…Case File 20「新たなる絆」

5位はシオンメイン回で一番好きな回であり、シオンの穏やかさの裏にある老獪さと知略が最高に光っています。
4位はドモンメイン回としてですが、とてもよくできていて、ホームシックを通じて竜也たちが抱える運命の辛さを表現した名作回です。
3位は中盤の滝沢直人と竜也との確執ですが、最終的に直人ではなく竜也を選ぶ4人という結末とその見せ方が完璧でした。
2位は序盤の立ち上がりとして完璧な回であり、竜也の「未来は変えられなくたって、自分たちの明日くらい変えようぜ」が光った傑作回です。
そして堂々の1位は歴史という大きな運命を前にタイムレンジャーがそれぞれの決意で動き、1つのチームになる回としてまとまっています。

どの回もよく出来ているのですが、終盤の大消滅関連を除けばこの辺りが頭に浮かんだので選出させていただきました。好みは別として、よく出来たエピソードが多いですね。

(6)まとめ

本作は「ギンガマン」「ゴーゴーファイブ」で完全に作家性を確立した小林女史のさらなるステップアップとして、非常に良く出来た大人のドラマでした。
その分子供置いてけぼりで今ひとつカタルシスというカタルシスは得にくいものの、まあその点はお隣の「クウガ」が子供人気を持っていったので良しとしましょうか。
戦隊シリーズのタブーに踏み込んだという意味では「ジェットマン」「カーレンジャー」以上にやるところまで完璧にやり通した作品です。
本作まででスーパー戦隊シリーズはもうやることをやり終え、次作「ガオレンジャー」以降からまた違う方向へ進むことになります。
総合評価はA(名作)、「テレビドラマ」としてのスーパー戦隊シリーズが迫力を持ちえたのは本作までかもしれませんね。

  • ストーリー:SS(殿堂入り)100点満点中120点

  • キャラクター:S(傑作)100点満点中100点

  • アクション:B(良作)100点満点中70点

  • カニック:B(良作)100点満点中70点

  • 演出:A(名作)100点満点中80点

  • 音楽:S(傑作)100点満点中95点

  • 総合評価:A(名作)100点満点中89点

評価基準=SS(殿堂入り)S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)X(判定不能)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集