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衰弱から蘇って来た人間

衰弱するとはかなり危険な状態みたいです

今回、食事が出来なくて衰弱してしまっている状態は生命本能が危うい状態だったでしょう

今日、食事を食べる事が出来て、最初は胃と腸の動きがおかしかったのですが徐々に力が湧いて来て動けると思いました

衰弱している時はもう写真撮影は無理じゃないのかと思っていたのですが食べて一日で回復です

午前中に撮影に出かけ、帰って来て運動もやるという始末、これがのちに祟らなければいいなとは思いますが食べる事の必要性を痛感した次第です

でも私は精神障害者で生活破綻、生活困窮してて生活と芸術の両立が出来ません

どちらかを犠牲にしても基本的には成り立たないと思います

これからは食事を食べる事を重点として対応しようと考えてますが、まともな食事は食べれないでしょう

まともな食事を作ろうならば直ぐ生活破綻です

まぁこの国じゃ解決策は用意されてません

ただ精神障害者が芸術をやる意味は世界から見たら認知されているはずなんですが、この国では芸術どころか精神障害者に対しての偏見や差別が蔓延っています

何をもって精神障害者が異常と思うのか理解出来ません

心と言うものは誰しでもあるものです

精神障害者が犯した犯罪より健常者が犯す飲酒運転の方がおかしいと思います

ただ私はもう餓鬼や飢えから来る衰弱はもう嫌だとは思っています

確かにあのままだと死んでてもおかしくない状態だったからです

ただ私は写真撮影がもう一度出来た事が嬉しかったです

もう無理と思ってた撮影だったからです

私は魔術師と死神の力、そして怪異を思考しなければならないのです

それらを融合させた芸術こそ写真芸術だと思っています

だからもう少し死ぬ訳にはいきません

ただなぜ死ぬような状態だったのに死ななかったのかと言えば思考です

厳密には心と呼んでもいいのかも知れません

私は外側、身体的にはダメージを多くくらっていましたが内側のダメージが殆どなかったと言っていいのです

なぜそのような事が起こったのかは先ずは、心事態破綻しているのとストレスに対する慣れです

そして巧みに思考をコントロールしてネガティブな思考にはならないようにしているのです

ただ心の破綻とストレス慣れが内側を巻いては来ない理由かも知れません

慣れ、苦痛を忍耐を慣れるそれを皆さんはどう思いますか?

30年間、私はストレスに晒されたのです

でも今、生きているのはそのストレスに慣れた結果なのです

それが私の人生です

人間は苦痛には弱い
でも私は精神的苦痛には耐性がある
なぜその耐性が出来たのかは
私を人が苦しめて晒し首にしたからです

人間が怪物を作り出したのです

私は自分に誇りを持っています

でも多くの人間は残念だと思います

人でなしろくでなしです

折角、衰弱と言う未体験ゾーンから這い上がって来たのです

これを有効に使いたいが今の私の想いです

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