きみがあるひとつの個性を個性として呼ぶのはほんとうの個性ではなくただの個性でその個性を個性と呼ぶならこの個性はその個性であってあの個性は一向にその個性として認識されるというものもあるひとつの個性ならきみとぼくがみた八月の濃い夏の光を浴びたあの緑は違って見えるべきだ
サイダーのように湧き上がるこの沸々とした一つ一つの感情に正確に対処する事ができなくなりつつあるのは社会性を如実に浴び始めてる,いやすでにそこにあったものが夥しい質量と時間と共に私を侵食していたからで, 紫色のくだらない感情とホワイトなそれらの起伏で激しい私の人格を癒すのは誰かだと思っていたけど,そうでも無さそうで,絶望 絶望の連続性の中で数少ない宇宙と繋がったような快感を求めて生きるのが世界の本質ではない事を知りながらそのひもじい目に映る世界を生きるのは実に過酷で,不安になる
元々原子の集まりであるように、 原子が原子と結合するように、 ばらばらでいるだけで、一人の人間の肉体として個を保っているようにみせているだけで、 本当はつながりたい、元に戻ろうとしているのであって、 いい音楽を取り入れることで原子がいい運動をするのであって、 いい食事を取り入れることで原子が生まれ変わって新しくなるのであって全ては原子 俺とお前はまじ ただ元の状態にもどろうとしているだけ さみしすぎるよ一人は つながりなんてみえないこんな世界で36度の温もりは何よりも生を実感
そういえば3月に祖父母の家に行った 岩手の国道の通るその町は五年ぶりで、 9歳くらいから夏休みになると一人で新幹線に乗って別荘気分を味わった 年月が経つということは、変化するということだと人間社会の中ではよく思う 良くも悪くも大小も異なるけど必ず変化する瞬間があって、 その瞬間に変化をしていく事って自分を知るきっかけになってもっといいやつになれると思う 周りにいる大抵どうしようもないやつはそういう瞬間をその知らない顔をして通り過ぎたやつだと思う時がある ザリガニやオタマ
卒業式の参加は任意だが、折角の行事であるし大学の終わりを改めて実感したかったので参加をした 武道館でやるというのもそそられる要因だった 九段坂を出たあたりから並ぶ列が本当に疲れさせた 整備の案内をするスタッフは何となく目を合わせたくない感じがあった 卒業式で小説家で女の理事長の挨拶やいろんな挨拶、それを聞く大勢の大学生と私、それを見張るように配置されたスタッフ、決して気持ちの良いものではなかった 人は多いし、校歌も一回も歌ったことがないから校歌について一度その向き合い方や考え
コロナで一週間くらい殆ど歩いていなかったから夜だし人もいないだろうからちょっと歩こうと思って、暖かいダウンを着てイヤホンをして去年くらいに作ったプレイリストをシャッフルして準備はまんたんということで、家を出たけれども近くのコンビニでハイビームを焚いている白いハイエースが目に入ってなるほどこういう激しいものというか、とりわけ自分の生を世界に誇示する蝉の区別のつかない鳴き声や深夜の国道をけたたましいエンジン音の残していくバイク乗りようなものとは区切りをつけて静かに自分の聴きたい音
卒論の合間、いつものようにだらだらインスタグラムをみる。 何を見ようともないし、調べようとかもないし、何にも目的がないのにアプリを開いて更新される画面をだらだら見て、しているのは当の本人であることが本当に嫌気がさす。でもやめられない。報酬系の回路がそうなってしまっていると一口にいう以上にもっと私を悩ませるものがきっとある。 散歩にいく習慣を以前はしようと思っていたけれど、なんの気もなしに歩くということの苦痛さが耐えられなかった。 これは意味がないだとか、日頃から常に意味を求め
結局とか、要するにとか考える上で自分から範囲を決めてその容量を超えそうになったら満足してすぐ忘れてつまらないものに走るのはもうわりとうんざりしていて、 考えることは際限がなくて誰にでもできてお金もかからないし、減るのは自分の時間くらいで、でも自分の時間なんて自分のために使うのが一番いいのかはわからないけど少なくとも最近感じる雰囲気から察するに自分の時間を自分のために使えている、使おうとしているようにはあんまり感じられないからいいのかも よくないくせになっているのかもしれな
しとしとと降る雪みたいな雨が傘、ビニール傘に当たる音しかしない午後4時40分 つめたい冬の風が首元を冷やす 濡れる革靴を思って水たまりをさけて歩くけれども一向に濡れていく革靴に対して諦めを通り越して妙な空白感の瀰漫する傘の中の今切られた空間で、行くあてのない雨の降る街で考えられることは背の高いコンビニエンスストアの看板を頼りにするほかなくて、そんな稚拙な感性をどうしようもなく思うけれども丁度今みたいな重苦しい内面は限り無く汚れた灰色に近い淀んだ雲雲と親和性が良く、彷徨う当ての
とりあえずなにかをしたくて、でも話題がないから話題は作るものだ!という考えから50音でやってみようと思ってやっていたことも、私生活が充実するようになってたから段々書かなくなって今確認したら2ヶ月まえくらいとかだったけど、その時と比べて自分は少しは外向的になれたようなきがする 内向的でいることはひとりでも退屈しないような世の中ではそんなに困らないことで、そう、困ることといったらたまに無性に淋しくなって誰かの肌の温もりを感じたくなったときにその対象がいなくて、その瞬間になった時は
あえてそれを社会性と言おう 人間の本質を考える事は内向的な性質をひどく帯びていて得てして結果の方もそうなっていくのであって、そもそも考えるという事をあえて限定するとするなら、いままでで得てきたあらゆる経験から導かれるものまでの過程とすると、それは寝てみる夢のような性質を持っていてつまり内向的であって、 ここである考えに寄りかかってみる 対象の要らない広野に出ていくことは内向的かという問いに対して、これはリルケのポルトガル文の女が、ひどく駄目な男に対してそれでも愛していくう
彼との電話で僕は月が本物である、本物たらしめることについて説明した瞬間 そんな気は話す手前には全くなかったけれど言いたくなった 彼はいう 月は満ち欠けを繰り返してまたいつものように暗い夜空を暖色の優しい光で照らしている あの蛍光灯の態とらしいとげとげした光とは違って月は太陽の光を帯びている だからあの蛍光灯とは決定的に違うのである 確かにもっともらしいと思った 僕は月はどんなに形が変わってもまたそこにあるのであってそれは小さい頃の月を月であると認識するずっと前からそこに
煙草を蒸すために部屋の小さな窓を開けると いつもは目の前の建物の出口から人が出てこないかちらちら見てみたりしていたけれど、 今日の空はやけに雲がもくもくしていたから見ていると、 僕の好きな人ももしかしたら同じ雲を見ているのかなとか思ってみたりするけれど、今日は見ていなそうな気がしたから写真に残しておいた 雲にはたまに見ると10分くらいだらだら見れてしまう雲がいて、今日の雲はまさにそうだった 雲を見て綺麗だねと言える素敵な感性を持っている人を好きになれてよかったと思った
僕の隣でご機嫌そうに喋る君を見ていると 急に君の全てを肯定してやりたい気分になって、何か気の利いたうまい言葉を模索するのであるけれども、言えずじまいで進む君の話は君の言葉で出来ていてするする聞こえてくるから好きな時間で、 ✳︎ 君と初めて会う日の前の夜 いつも通り家の前の公園にある、目の前に大きな木のあるベンチに腰掛けて誰も見ていないのに何かを考えているような顔をして煙草を蒸す 唯一自分を肯定してくれる存在であった煙草は最後の一本でそれすら灰になって足元に落ちた 煙の匂いだ
僕がこうしてダラダラ書いていることは単なる文字の羅列かもしれないけれども、 少なくとも僕から見ればそれは意味のある文章であって、それらの文脈にそれらを理解するための前提があって、だから現時点においては僕においては意味がある文章であって、でもそれだけじゃ、それだけだとこうして不特定多数の人に見られる場にドロップする意味は全くなくて単なる自己満足の範疇を超えなくて、それは初めのうちは、なんとなくブログを作るという行為から何かを提供する立場になったと思った気になっただけで全くそんな
アルバイトを働くことの括りに入れていいのかは疑問が残るけど、僕は5年以上アルバイトをしていて大学卒業で終わるけど、働いてみて自分のものになってきたと思うのは最近になってからで、 それまではわからないことや不安なことがあってその時が来ないか働いている間は心配していて、それに面倒臭い客が来たらどうしようと悩んでいたけれど、それらも最近はなくて割り切ってできるようになった。 履歴書の自己PR欄にも自分の強みにホスピタリティ力を書いたけど、これは僕の素質であったのか、アルバイト経験