【解説】ボブ・ブラック『労働廃絶論』まとも書房Staff翻訳.純白啓蒙読書会#7 【高田馬場】【Good Luck】【早稲田文化構想】
美的加速主義.
かつて後輩の批評家/幸村燕はデジタルネイチャーを提出した神秘思想家/落合陽一のことを美的加速主義者と呼んだことがある.
半分失礼な話,ボブ・ブラックを翻訳した久保さんことホモネーモさんのアンチワーク哲学/反労働論のパラパラ読んできた数々もこの美的加速主義という幸村燕が名付けた造語を連想させられる。
美的加速主義とはデジタルネイチャーで書かれたユートピア/ディストピア的なAIが人間の知能指数を超える現実に合わせて社会設計をしようぜというロマンチックだがリアルに行動する話だ。
その話が無理ゲーに絶望するニック・ランドたちの加速主義よりは美しいユートピア/ディストピア的な方向へ向かっていることからも美的加速主義と幸村燕は落合陽一をそう批評したのだ(冷笑)。
今回のボブ・ブラック『労働廃絶論』は日常の話に落とせば,就活で焦っている奴、社会人が分からない奴、仕事とは何か?について悩んでいる人間は最低限読むべき教養だ。
ちなみにホモネーモさんはその先へ既に行っていて、あくまでもこれは教養という形で出された半分は苦言だということを私たちは年長世代から受け取らないといけない(もちろんホモネーモさんは優しいからそんなことは余り言わないかも知れないが…)。
ホモネーモさんは既に先へ走っている。
ホモネーモさんこと久保さんは既にこれらの手合を様々に分析し自らの実践や思想へと飛翔している。
しかし悲しいことにZ世代の若者たちはYouTuberブームなどに怠けたりコロナ禍があったり、倍速視聴などでもはやそのような教養以前にまで知識が悪くなっているかもしれないのだ。
そういう意味でこれはホモネーモ哲学の入門書、あるいはホモネーモ大学の始まりであり、まずこの手の教養がなければ、労働を素朴に受け入れて戦争をするあるいは通知攻撃などというおぞましいディストピアへ行くかもしれない。
とにかく労働という概念のマイナーチェンジは左翼としてオーソドックスに必要だ。このような文献は労働を軽くしたい研究者/哲学者にとって当たり前かもしれないが、まず現状整理としてこの本がまず当たり前の下部構造として私たちは考えていかなければならない。
そして、恐ろしいことを言えば、久保さんことホモネーモさんはめちゃくちゃ働いている。
彼がめちゃくちゃに労働なき世界へ動いてしまっている。
でも、なぜ彼が働けるかと言えば、彼が労働という概念そのものをボブ・ブラックに負けないように手足を動かして起業までしてしまった結果、もはや落合陽一や箕輪厚介みたいな意識高い系のエートス、行為態度そのものを逆側から後継してしまっているからだ。
美的かどうかという点で落合陽一氏と久保一真さんの思想は似ている。
主張は真逆だが、通底している。
しかし、それはそれこそホモネーモ、考える人々だけの話であり、貴方たちの大半はまず労働という概念そのものを考えないといけない。
このような本が提出されたことそのものがZ世代の知識力の低下の表れでもある(もっとも本人よりも本人の周りがもう知識人がいない状況を高尚な文学表現として皮肉る初田氏の『PPP-戦争論』は関東の人間としてあえて高く評価せざるおえないが)。
是非、読書をする、哲学をする、という当たり前を思い出すためにも手をとってみてほしい。
〈解説〉