詩学 4、イメージから、天上界 (芸術の書 断片)
4、イメージから、天上界
イメージから、天上界ということで、これは詩においてとても大事な悟りでありましょう。詩は天上界から降ってきますことがありますが、この地上で生きている時に感じたことなどを詩に表すこともあります。人生の中で生きてきた経験が作品の質を高める事と+αで天上界のイメージが融合していく事です。なので、天上界からのイメージを降ろすには、地上にある詩人の心の器の質、経験の中で生み出した考えや人生を生きていく中での人生観と、神に対する宇宙の根源に対する信仰心、天上の神々に対する信仰心が、霊天上界のイデアマテリアルを詩人の器に注がれて、詩のイメージを降りて来てそれを解凍していきます。そして詩として原稿用紙や演説、朗読などによる表現によってこの世界に表現されていきます。まず、詩人にとって大事なのが信仰心であろう。目に見えぬ神に対する信仰心、天上界に対する信仰心があれば、諸天の神々、天使から力をお借りする事が可能となって行きます。もちろん地上の人間である詩人の人生観が内容と形式の可能性が最大の要でありますが、不朽の名作を作る場合、かならず天上の芸術の神の影響があることです。イメージは人間にできる才能で霊的な事績です。そこがどこの世界に通じているかが問題です。天上界から影響を受ける為には、善も悪もやさしく包み込み、その力を手段として使う。この善悪二元論をもって美を作って行くのです。あと、これは言える事ですが、善がいい、悪がわるいと思わない事です。それを規制してしまうと表現の幅が狭くなるでしょう。美の観点から見ていくと、善悪は表現の手段となって行くでしょう。神々の世界は必ずしも善悪の基準はない。真に大事なのは天真爛漫な感情です。そして、それは光であり愛にあふれています。愛は世界を良くしたいと強く心からうずくほど抱いています。必ずしも善悪の基準じゃない。光りに対する世界である事、そこは、善悪も無いのです。善悪の発生の可能性は、この地上だけです。本当は、善は光です。悪は光の歪さであり陰であり個性でまた光です。闇は光の不在でもあります。それは存在の色であり遠近感であり遠景であり近景でありそれが行き交うのです。どうか、善悪というより光の彩りという観点でみていただきたいと思います。光りの中に強弱あるのはあるのです。そして、究極の光に向かうのが、芸術の感動となって行くのです。光りは光としてあらゆるストレスや闇によってその輝きを強め爆発する感動が光りに向かて飛び立っていく事でエネルギーの炸裂が芸術作品の光となって多くの人を感動させる事になるのです。陰影の中で輝く光りが大事だということ。イメージと天上界は、光りを自らの内に感じ光りは愛であること。愛の気持ちをもってして光の感覚をつくる。詩を書くことで、いろんなイメージが出てきたときに、それを表現する。
イメージは、心静かな状態で、映像を思い浮かべ、それを詩に再現する。そこには、天上界の影響もあること、天上界のパイプをつなぐためには、詩人の人生観を心澄んだものにしていく。心を清める。心を清める為には、今までやってきたことの反省をして、問題を解いていく、もしくは、愛に生きて心を清める。愛の感情をもって、そしてそれを行う事によって、人生観を磨く。愛に生きている時に、自然に心が清められ、心が澄んでいくでしょう。自然に反省や振り返りがあり、自らを修める。詩人は、一生涯において愛に生きる事が重要になってきます。そこで、自由の感覚もの広がりも実現して、自由になっていくでしょう。自由の究極には愛があること。そこまで行けることを。
また、業ある人生もまた素晴らしい光の詩の可能性となること、