社会人2年目で適応障害になった話
こんにちは、内向型HSPのayakaです🌞
現職では採用業務に携わっていることもあり、
仕事とメンタル不調の関係性はよく耳にします。
そして私自身、社会人2年目で適応障害になった経験があります。
適応障害を発症した当時は本当に辛かったですが、
この経験があったからこそ、自分軸で生きていく大切さを
身をもって学ぶことができたと思います!
欠員補充で入ったPJTで適応障害に
社会人2年目になって間もないある日、
「半年間他部署のヘルプに行ってほしい」
と上司から急なヘルプ要請が。
前任の方の諸事情による急な退職だったため、
十分な引継ぎがないまま仕事をすることになりました。
幸いにも、マニュアルがあったので何とかなりましたが、
マニュアルでは理解できないものもあり、
毎日びくびくしながら仕事をしていたと思います。
「ミスは許されないけど、誰に聞いたらいいか分からない。」
「上司は忙しそうだし自分で何とかしなきゃ。」
そう思えば思うほど目の前の業務に集中できなくなって、
初歩的なミスを何度も起こしてしまうんです><
「なんでこんな簡単なこともできないんだろう」
「上司に迷惑ばかりかけてヘルプのはずがただのお荷物だ」
と負のループに陥り、自信を無くす日々。
それに加えて12時間以上の勤務が常態化し、
心身共に疲弊していきました。
不眠が続き病院へ。適応障害と診断される
明日が来ると思うと心臓がドキドキして眠れない。
何も楽しくないし、なんか涙が出てくる。
このままではまずいのではと思い、精神科を受診。
適応障害と診断されました。
先生からは最低1カ月は休養した方がよさそうですね。
とのことで、診断書を発行してもらいました。
適応障害でも仕事を休みたくなかった
適応障害の診断書をもらっても、
会社に提出するのをためらい、数日間働き続けていました。
当時の私はこんなことを思っていました。
しっかり休みなさいと言いたいところですが、
責任感、完璧主義、他人の評価を手放せず、
無理して働き続けてしまっていました。
ある日、たまたま前の部署の先輩から電話があり、
安心感から大号泣。
適応障害になってしまったことを打ち明けました。
「辛かったね。もっと早く助けを求めてよかったんだよ。」
先輩の一言が私を救ってくれました。
その後、先輩が上司と掛け合ってくれたおかげで、
休職せずに前の部署へ戻ることができました。
自分をマイナスな環境から引き上げてくれた先輩には
感謝してもしきれません、、🥲
適応障害から学んだこと
適応障害は「心の風邪」とも呼ばれているそうで、
誰にでも起こり得ることだそうです。
自分を大切に、少しずつでいいから、
私らしいペースで進んでいきます🫧
最期までお読みいただきありがとうございました。
明日も素敵な一日になりますように🍀
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