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ポンコツな自分を隠さない方が人間関係は上手くいく

noteで自己受容を続けてきたからなのか、最近、日常で自分のポンコツな部分を晒せるようになってきた。

それによってプラスの変化が生まれつつある

人間誰しも「格好をつけたい」「よく思われたい」などの見栄や虚栄心がどこかにある。

ゆえに「弱点を隠そう」と振る舞いがちだ。

僕もご多分に洩れず、虚栄心が強い方だ。

以前は「自分のこの部分を知られたら終わりだ」「こういうところがバレたら幻滅される」と終始怯えていた。

しかし振り返って思えば、僕と長年付き合ってくれている人は、恐らく僕が「知られたら終わり」と必死に隠そうとしていることを、すでに知っており、わかった上でコミュニケーションをとっている。

情けない部分、頼りない部分をとっくの昔に受容してくれているのだ。

この事実に気づいてから、「自分はこれまで、一体何を懸命に隠そうとしてきたのか?」と思った。

勇気を振り絞り、恐る恐るダメな部分を晒してみると、場が和み笑顔が増えた。

隠そう、隠そうとする行為は緊張感を生む。「この人はこれを知られたくないのか。だから触れないようにしよう」と相手に気を使わせてしまうのだ。

隠そうとする箇所は、劣等感に根差した部分だと思うのだが、自分が気にしていることを、他の人はそれほど気にしていない。

そして自分が気づいていないところに、好意的な目を向けて「この人のこういう抜けたところが好きだから、コミュニケーションをとりたい」と感じてくれることも。

ありがたいことだ。

かなり抽象的なことばかり書いているが、伝わる人には伝わる気がする。

劣等感を覚えている部分を隠そうとするほど緊張感が走る。
開き直って「自分はこういう人間なんで、あなたの好きに受け取ってくださいね」と晒すほど相手は安心する。

最近、経験的にようやくそのことが理解でき、心で実感できるようになりつつある。

僕に対して、最も厳しい目を向け許そうとしなかったのは僕自身だったのかもしれない。

長い時間を必要としたが、2023年にnoteを始め更新を続けてきて、ようやくそのことに気づけた。

ポンコツな部分を晒した方が、周囲は安心できる。そして相互をゆるゆるに緩められる。

多くの日本人にかけられている「正しさの追求」という呪いから脱することができるのだ。

すでにおわかりかと思うが、僕はかなりのポンコツ野郎です。

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