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HSPやINFJは「変人認定」されても落ち込まずに「強みを褒められた」と前向きに捉えよう
これまでに何度「変わってる」「変人」と言われてきただろう。
僕の普通は、多くの人にとっての普通ではないということに気づいたときはショックだった。
しかし、今はマイノリティなことが武器になり仕事にも生きている。
会社勤めは無理と早々に見切りをつけたのも、会社が定めた「当たり前」「普通」にひどく苦しんだからだ。
「うちのルールはこれなんだから、あなたはそこに合わせるのは当然でしょ?」と常に言われている感覚があり、勤務期間はストレスにまみれていた。
もしあなたがたくさんの人から「変わっている」と言われるなら、きっと何か尖った一面を持っているはずだ。
そこは間違いなくあなたのオリジナリティであるし、人から指摘される「変わっている部分」を言語化できて強みとして解釈できた途端「私は大きな武器を持っていたんだ」と気づけるだろう。
強みというのは、その人が当たり前にしていることなので中々気づけない。
「これくらい、きっとみんな普通にやっているんだろう」と思っていても、意外とそうではないことが多いのだ。
再度、記すが変わっていると言われる人の普通は、多数派にとっての普通ではない。
僕は、小学校のときにみんながドッジボールをやろうというとき、お付き合いとして参加していたタイプだ。本音をいうと「ひとりで昆虫採集に没頭したい」と感じながら、気が進まないのにドッジボールをしていた。
ひとりで行動できる放課後は天国だった。
自分の好きな世界に没頭できるからだ。少年のとき虫捕りに明け暮れた体験は夢のような時間で、今でも鮮やかに焼きついている。
この「何かに没頭する」「何かを探求する」という性質を持つ人は、自分の好きなことへの熱量が甚大であるゆえ、世間からズレやすく「変人認定」されやすい。
僕のディグるという探究的な性質は、今やっている調べものをする仕事、調べてそれをわかりやすくまとめる仕事などをする際に、とても活きている。
ドッジボールが楽しくてしかたない同級生からしたら、昆虫採集の方に喜びを感じる僕の気持ちは、理解しがたいものだったかもしれない。
人間は理解しがたいものを目の当たりにすると、異物というレッテルを張りたがる。しかし、こんなのは全く気にしなくていい。言葉に捉われすぎて苦しくなると、だんだん言葉の奴隷になっていく。言葉は、あなたが幸せになるために使うべきだ。
僕の所感は「自分が楽しいと感じる方を素直に選べばいい」。ただそれだけである。周りの目を気にして、好きでもないことを嫌々やっているうちに人生が終わるのはまっぴらごめんだ。
あなたが今「自分のここが変で嫌だ」と感じているところが、今後大きな武器に転じるかもしれない。
変わっていると言われがちなマイノリティな人ほど、環境を慎重に選ぶべきだろう。
そつなく平均的にこなすことを求める環境で、あなたの凹凸の凸部分は活かせないかもしれない。それどころか、浮いてしまい「もっと普通にやってよ」と注意を受けることすらある。
人の才能が開花するかしないかは、環境次第。環境との相性が全て。
度々、変人と呼ばれ苦しんできた人が読んでくださっているとしたら、どうかあなたの才能をぞんぶんに発揮できる環境と出会えることを切に願う。
シビアなことをお伝えすると、恐らくあなたの才能は「世間が定めた普通の人側にいると安心する」と無意識に感じ多数派の正しさに安住する、本質的には不安を抱えている人からは誠にもって認識しづらい。
そこにあるものが見えないのだから、コミュニケーションの齟齬が生まれて当然である。
しかし、わかる人にはわかるし伝わる人には伝わる。
マイノリティの人の才能に気づくには、感性が必要なのだ。
この投稿に心が動き共感してくれたあなたは、素晴らしい才能と感性を持っているにちがいない。