【決意表明】幸せにならねばならない
以前、記事で「ねばねば思考をやめたい」とは言いましたが
これだけは確実にならねばならない。
呪い
私にはいろんな呪いがかかっている。
完璧でいなければ、良い子でいなければ、〇〇しなくては、
それらは様々ある。
もちろんそれら全てが悪いものだとは言わないが、
真綿のように柔らかく、しかし緩やかに私の首を絞めあげていることは確かである。
それも常日頃から。
私の一挙一動、全てがその呪いによって生み出されたもの、
あるいは呪いによって「改竄」されたものと言い換えてもいい。
私の行動理念は呪いによって書き換えられている。
ADHD
これは私が生来持っているとされる障害。
そして、双極性障害、愛着障害
これらはADHDの二次障害のようなものと考えて良いと思っている。
恐らくはADHD→愛着障害→双極性障害
といった順での発症かと推察。
現在私が困っているものの主を占めるのは双極性障害、の鬱と
愛着障害である。
そして双極性障害の元は愛着障害だろうと。
トラウマ治療の決意
ゆえに、私は決めた。
トラウマ治療を開始する。
前々から主治医や訪問看護の方に言われていた。
しかし、トラウマというほど酷いものではない、と軽視していた。
フラッシュバックも起きないし、PTSDというほど酷いものとも思えない。
そう、この"軽視"も呪いの一つだと気付くのにここまで時間がかかった。
これも立派なトラウマなのだと、私はようやっと気付けた。
それまでは薬や環境、自分の努力で全て治る、とは思わないまでも
マシにはなると思っていた。
しかし根源にあるのは愛着障害。
まずはそこから解決していく必要があると考え至った。
だから私は意を決して主治医にトラウマ治療の開始希望の旨を伝えた。
主治医はあっさりと許可してくれた。
トラウマ治療専門の先生の外来の予約を取ってくれると。
しかし、その先生は非常にお忙しく、また高位な先生らしいので
予約がいつ取れるか分からないとの事。
内心私はホッとした。
心の準備期間になると思い、私はその方が良いと思って予約希望した。
の、だが
まさかの二週間後というあまりに早すぎる日程で予約が取れた。
取れてしまった。
いや、いいことだ。何事も。
けれど私は未だにこのトラウマに向き合う覚悟も準備もできておらず、
しかもその間引越しとかいうめちゃくちゃストレスのかかることをせねばならない。
心の整理をつける暇もないではないか。
頭を抱えたけれど、なるようになれと思い予約を取った。
私は幸せにならねばならない。
今まで不遇に慣れすぎて幸せなど考えられなかった。
思い描くことすらできなかった。
未来に期待も希望も見出せなかった。
幸せになることなど出過ぎた願いだと卑下していた。
しかし。
いつまでも今のままこの病気や呪いたちと悶々と苦しみながら死ぬよりも
少しでもこの病気や呪いたちを理解せねばならない。
何故か、お分かりだろうか?
戦の始めにすべきこと
それは、まず相手を知ること。
あまりに当然。
相手の情報を得た上で立ち回りを考えていく。
しかし私一人ではこいつらに対抗する情報を正しく得ることは難しい。
今の私は呪われているのだから。
だから、外部の専門の方に頼る。
そして私は攻略していく。
利用出来るものは利用する。
私は、必ず幸せにならねばならない。
幸せに死ねるとは思っていない
しかし、今の私と似たような呪いを抱えた方はきっと多くいるだろう。
こんな弱小のnoteではあるが、もし、もし誰かの目に留まることができたなら、
そしてこれが誰かの一助になれたりできる可能性があるなら、
私はそれに賭けたいと思う。
なにせ私は、とある方の著作を読んでトラウマ治療を決意できたのだから。
もちろんその方は私より断然著名な方なので比べるような表現をすべきではないけれど。
長年戦ってきている。
しかしきちんと攻略が出来たことがない。
正しく解呪出来ていない。
勢いを弱められたものもあるけれど。
だから、終わらせてやる。
諦めていた。もうこのまま死ぬしかないと。
解呪したところで無駄だと。
けれどこの呪いは私の人生の上で不要なものだと判断出来た。
だから手放すことにする。
傷付いた経験がなくなるわけではない。
過去の私を捨てるわけではない。
しかし過去からの復讐にいつまでも苛まれる訳にはいかない。
私は今、そして将来を生きていくのだから。
無駄な荷物は少ない方が良い。
むしろお荷物よりも武器が欲しい。
戦っていけるだけの力が欲しい。
過去の自分を許し、愛せる力が。
そしてそれらに立ち向かう力が。
これは復讐
私が幸せになる。それが復讐になる。
私を苦しめた奴らを許すつもりは毛頭ない。
いつまでも虎視眈々と機会を狙い続ける。
そのための力をつける。
復讐してやる。
いつまでも私が思っている、私の数少ない本音。
この殺意があったからこそここまで生きてこられた。
私が生きている理由は、ポジティブなものではなく、
復讐するという怨念めいたものだ。
原動力は、殺意。
しかし時に人は愛情よりも憎悪の方が強く勝る。
誰かのために、ではない。
自分のために。
愛情の反対は無関心
その通りだ。
私は復讐相手に憎悪を念を抱き続けているが、
これも一つの愛情なのだ。
何故なら、ずっと彼らのことを思い、復讐のために生きているのだから。
本当にどうでも良いと精算できていれば、こんなに頻繁に彼らのことを思い出すことはない。
有の反対は無。
たったそれだけ。
相手に───愛憎問わず───興味がある時点で、それは愛なのだ。
だから私が彼らに抱くこの強烈な愛情は、何かしらの形で必ずぶつけてやる。
幸せになった私が。
巷では悪役令嬢が復讐する話が流行っている。
私も非常に好んで読んでいる。
そもそも悪役が好きなのだ。
私はヒロインではなく、ヴィラン側の人間であることは、私が一番熟知している。
しかしこれが私の正義なのだ。
世間がいくら悪だと罵り、囃し立てようとも
私は私の正義を遂行する。
他人の正義は興味が無い。
私は私のために、行動する。
世間からどのような評価を受けようとも、
世間がいくら「この行動は正義だ」と言っていても
私が正義だと思えないならそれは正義ではない。
逆も然り。
私の倫理観は非常に破綻し歪み偏っているが、
それも私だけのせいではない。
その責任逃れをさせるつもりはない。誰一人として。
絶対に許さない。幸せになれると思うな。
このまま何も知らず死ねると思うなよ、犯罪者ども。
当時は哀れな山羊だった
贖罪の山羊。スケープゴートと呼ばれる。
私はその山羊だった。
しかし、私はただの山羊ではない。
残念なことだ。
山羊の皮を被った、獰猛な肉食獣に成り果てた。
山羊のまま過ごしていれば、誰にも迷惑はかからなかっただろう。
何故なら山羊のままでは生きていられなかっただろうから。
高校生の頃にとっくに首を吊っていただろう。
けれど今や殺意を原動力に生きる獣となった。
残念でならない。
本当に、彼らを思うと残念なことだ。
私にとっては好都合でしかないのだけれど。
彼らすらも取って食うほどの獣になれたのだから。
そのための爪研ぎが必要だ、と判断。
迂闊に突っ込む気は無い。
そんな正攻法で行くつもりは毛頭ない。
故に、粛々と準備を進め、虎視眈々と機会を伺い、確実に仕留める。
正確に、確実に、そして必ず。
あの時の山羊が舞い戻って噛み殺しに来たと知らしめてやろう。
そんなとき、彼らはどんな表情をして、どう思うのか。
考えるだけで胸が湧く。
彼らのために、復讐のために。
これが愛情以外の何だというのだろう?
「お前、その顔鏡で見たことある?」
ある日、母親に言われた言葉だった。
八つ当たりに妹をいじめていた時だった。
幼い私は言葉のあやとも分からずそのまま鏡を見たが、
私が立っているだけだった。
特に表情がどうとも思わない。
けれど、今になって理解できる。
今私は鏡の前にいる訳では無いが、
恐らく凶悪な笑顔を浮かべているのだろう。
頬が緩んでいるのがわかる。
それも、幸せな緩み方ではないのも。
先程から喉奥からの笑い声がしばしば漏れる。
つまるところ
これは私からの宣戦布告であり、
イカれた復讐という名の戦争準備開始である。
そのための準備段階、前座としてのトラウマ治療。
まずは過去との戦争を開始する。
正しくはないだろう。
美談にもならないだろう。
世間からは非難されるだろう。
トラウマ治療に留めておけば綺麗な物語で終わったんだろう。
けれどそれで良い。
これは私のための戦争なのだから。
開幕です
紳士淑女の皆々様方、
お時間許す限り、私の物語をご覧くださいませ。
喜劇となるか悲劇となるか、はたまた"打ち切り"となるか。
脚本もないため何とも申し上げられませんが──────
転んでもただでは起きないのが、私でございます。
きっと皆様の暇潰し程度にはなれるかと自負しております。
我が獣の殺意、たっぷりとご覧に入れてみせましょう。
さて、開幕です。
戦いの火蓋は、私が切り落とした。