毒親育ちの自分が、勉強漬けだった子ども時代とその後の苦難を改めて振り返る
*強い怒りの感情をあらわにはしていないつもりですが、学歴に関する言及や、前向きなところがあるので苦手な方はご注意ください。
僕はひたすら勉強していた。子ども時代のほとんどが、勉強という時間によって構成されていた。ここには母親の影響がとても大きい。
そして自分の中で、今から10年くらい前の18歳(国公立大学に合格・入学)が人生の一つのターニングポイントになっている。
この前後で世界観や価値観が大きく変化した。
文章にすると馬鹿みたいだけど、それまではひたすら勉強するのが正義で、人間の価値は学歴により決定され、他の行動は時間の無駄であり悪であり甘えであると、ずっと母親から呪縛され続けていた。
他の子どもはそうじゃなかったということを、このときの僕は知らなかった。
しかしこのターニングポイントを起点に、母親の勉強という面での呪縛からはほぼ解放される。
(母親の他の毒になる部分や、父親の毒親性はこのあとも続く。)
ただそれでハッピーになれたかと言うと、そんなことはなかった。
これまでずっと異常な考え方に基づいて異常な行動を取り続けてきたわけなので、急に大学生の「普通」をやろうとしてもうまくいかなかった。
勉強し続けなくてもよくなった自分が、
何をすればいいのか、
何がやりたいのか、
何ができるのか、
何もかもがわからなかった。
RPGで例えるなら、レベルの低い状態でいきなり地図のない広いフィールドに放り込まれたような感じ。
近くに街などの探索拠点は見当たらず、どう見ても勝ち目がなさそうなモンスター達が徘徊している。そもそも何を目的に冒険しているのかも不明。
周りのプレイヤー達はレベル16くらいなのに、自分だけレベル5とかで戦っているような感覚。
防御以外のコマンドはかなり選びづらいけど、敵を倒して経験値を得ないとレベルアップできないというジレンマがあった。
これまで「勉強はすべてを解決する」とだけ教えられてきた。
それ以外は禁じられていた。
しかし大学受験が終わると「勉強がすべてを解決する」ことはなかった。
目の前の現実に対する武器にはならなかった。
最強だったはずの武器は、もはやただの棒切れのように見えた。
そもそも18歳の僕は、国公立大学には合格したけれど、とても頭が悪かったと思う。
難しい数学の方程式が解けても、膨大な歴史の年表を暗記できても、ただそれだけだった。
答案の空白を埋められるというだけで、他のことは全然わからなかった。同年代の人よりずっと出来なかった。
物事を考えるということをほとんどしていなかったし、そういう発想すら希薄だった。
決められたことを決められた手順でなんとなくひたすら繰り返しているだけだった。
それは、これまでずっと、勉強以外のほとんどが許されない環境に置かれていたからだ。
そこでは「感情」が禁止されていた。
そこでは「自分」が禁止されていた。
そこでは「人間」が禁止されていた。
絶体絶命な気持ちを抱えつつも、僕はけっこう愚直というか逃げるのが苦手というか、まっすぐに行くところがあるので、めちゃくちゃしんどくてもトレーニングとして様々な経験を積もうとした。
まともな大学生らしい生活を送ろうと躍起になり、サークルもいくつかやっていたし、アルバイトをしたり、友達を作ったりしてどこかへ出かける機会を増やそうとした。
でもやっぱりうまくいかないことだらけだった。かなりの年月がたってからもフラッシュバックするような、手痛い体験をいくつもした。
(余談だけど、大学生当時、周りの大人たちは大学に入ってからもなぜか学校の勉強が大事だと言っていたが、僕はずっと違和感を持っていた。
実際、僕らの時代の就職活動では学業成績はほとんど考慮されなかった。まったく逆に、学校の勉強以外のことをどれだけやったかが重要視されていた。)
フラッシュバックの程度や頻度が減ってきて、平穏が増えてきたのも、ほんの最近の話。
いま現在は一通りのことを人並みにこなせるようになったけど、ここまで来るのにかなり苦労した。
僕にとっては創作が大きな癒しになった。力になった。
この他にもまだ、いくつかのターニングポイントがあった。
それでもまだ、蓄積されたダメージが自分の中に残されたままだ。
まだ戦いは終わってない。ファイティングポーズは崩せない。
まだ光が当たるのを待っている記憶の断片がある。
▼この前書いたばかりの、諸々のダメージからの回復の一歩となった小説