美の”玉川”~五島慶太と徳生忠常
首都圏域に土地勘のある方であれば,”玉川” と称する地名といえば,東急田園都市線二子玉川駅を含む多摩川沿いの地域が,まず思い当たるのではなかろうか。
いまの世田谷区の一部たる玉川地域は,かつて東京府荏原郡玉川村と称していた。
1889年(明治22年)に上野毛村,用賀村などが合併した際に,多摩川の別称に因み名付けられ,1932年(昭和7年)に世田谷区が成立するまで存続した。
この旧玉川村は,等々力渓谷などの自然に恵まれるとともに,野毛大塚古墳などの遺跡,遺物出土地も所在している。
一方,愛媛県今治地方に縁のある方であれば,玉川湖,鈍川温泉などが所在する蒼社川上流域を思い浮かべるのであろう。
諸説あるも蒼社川水系の木地川の別称とされていたこともあり,1954年(昭和29年)鈍川村,久和村などが合併して愛媛県越智郡玉川村となり,玉川町を経て,2005年(平成17年)に12市町村の合併により今治市となった。
奥道後玉川県立自然公園,鈍川渓谷の豊かな自然,平安末期のものと推定される国宝 伊予の国奈良原山経塚出土品などの仏教文化財を有する土地柄である。
自然美と歴史的な文化資産を誇る武蔵と伊予の玉川には,いずれもゆかりの事業家が設立した美術館がある。五島美術館と玉川近代美術館。
世田谷区上野毛に設立した五島慶太(1882年~1959年)は,言わずと知れた東急グループの事実上の創立者。
一方の徳生忠常(とくせいただつね)(1901年~1999年)は,月賦百貨店 株式会社丸興(ダイエー系列を経て,現 SMBCファイナンスサービス株式会社)の共同創業者。旧九和村(後の玉川村)の農家の長男に生まれたものの向学心を捨て切れず,母親の実家で働きながら伊予教員養成所に学び,小学校の代用教員となった。
紆余曲折を経て,1950年(昭和25年)に上京し丸興を創業。「丸井・緑屋・丸興」とも称される三大月賦販売会社となり,1965年(昭和40年)に東京証券取引所市場第二部に上場を果たした後,ほどなくして引退した。(後に市場第一部に指定替え)
故郷に戻った徳生が,資金を全額提供して蒐集,建設し当時の玉川町に寄贈した ”玉美(たまび)” は,1986年(昭和61年)に開館。約420点の収蔵品には,ピカソ,ルオー,ミロ,シャガール,ユトリロなどの海外作品から,黒田清輝,藤島武二,松本竣介,野田英夫など近代日本洋画の作品が多い。
東京帝国大学を卒業し鉄道官僚を経て私設鉄道経営の道に進んだ五島にも,18歳の時に故郷 長野県小県郡青木村での代用教員を経て,東京高等師範学校卒業後に英語教員となった経歴がある。
東急の源流の一つとして1918年(大正7年)に創立された田園都市株式会社は,東京府荏原郡玉川村などに造成した分譲地の販売に当たり,
五島が蒐集した日本と東洋の古美術品を中心として国宝5件,重要文化財50件を含む約5,000件にのぼるコレクションを誇る五島美術館。
1960年(昭和35年)の開館を目前にして,天寿を全うした五島は,若き日の教員経験と重なるように教育事業,沿線への大学招致にも注力した。
旧玉川村たる上野毛にキャンパスを構える多摩美術大学も成果のうちの一つ。
多摩美(たまび)は,愛媛及び今治の地ともゆかりが深い。
前身の多摩帝国美術学校の初代校長にしてモダンデザインの先駆者 杉浦非水(1876年~1965年)は松山市出身。愛媛県美術館には非水コレクション約7,000点を収蔵(2017年時点)。
非水の後輩にあたる佐藤可士和 氏がプロデュースした作品の一つに,今治タオルのブランドマーク,ロゴデザインなどがある。
玉美と多摩美,そして五島美術館。
西と東の玉川の地にゆかりの人が結ぶ美の贈り物。
かつて二子玉川には二子の渡しがあり,多摩川以西と江戸を結ぶ交通の要所であった。
現在でも,東京の西の玄関口に相応しく,人と文化の交流拠点として発展し続けるまち世田谷区玉川。
東急グループが創造する自然環境と調和した街 ”二子玉川ライズ” と,瀬戸内の玉川の玄関 今治市街は,現代の渡し船たる高速バスで結ばれている。
運行を担うのは,東急バスとせとうちバス。
五島慶太と徳生忠常ゆかりの地 ー 武蔵と伊予の “玉川”
ともに教員経験を有し,割賦販売のさきがけとなった実業家。
二人からの ”美” の贈り物は,時を経て結ばれ,彩りを添えている。
※ 玉川近代美術館(玉美) 最寄りのバス停留所:玉川支所前(せとうちバス)