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ヒオウギアヤメ|知ってるけど初めて出会うというようなとき

本当に、私は何も知らない!葉が生い茂る様子を見ていて、「今年は葉を伸ばすだけで花をつけるのは来年からなのかな」と思っていました。数日前のヒオウギアヤメからは、葉しか見つけることは出来ず…

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そこからトップ写真の花芽です!

花芽が出てみれば、それはもう「茎」としか言えない丸い茎をもっています。そのまわりの薄くて長い、まさに「アヤメ」という葉たちとは全然違いますね。こうしてみると違うのに、それでも、今まで見つけられなかった……。


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内藤礼さんの『内藤礼〈母型〉 』という本を読んでいます。内藤礼さんがとても好きなのです。どうしてもひとつしか美術館を選べなかったとしたら、豊島美術館を選んでしまうだろうなと思う。

この本のなかで好きなことばを紹介します。

ことばとしては知っていたかもしれないけれど、自分が体験的に、内的な出会いがまだないときだったからそういうタイトルをつけなかっただけで。つい最近、内的な体験をしたようなことがあるんですよ、「母型」という。知っているけど初めて出会うというようなときってあるじゃないですか。ほんとうに出会うとき。

内藤さんは、こうとも言っています。

いろんな人がくり返しやってきたことを拾うほうが意味がある、と私は思っていますね。人間がほんとに新しいものをつくることはありえないから。ないから、それは。それは──拾えたんですよ、新しいものじゃない。

人間が新しいものをつくることはない。そうかも知れないなと思います。知っていたかもしれないけれど、本当に出会っていないこと、それはたくさん有るし、きっとそういうことばかりなんだろうなと思います。

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