揺らぐ少女に、「死」はあまりに刺激的だ。(湊かなえ『少女』を読んで)
ふたりの少女が巡る、死のファンタジー。
単行本は2009年発売。湊かなえさんらしいミステリーで、15年越しに出会えたことが嬉しい。
『少女』
(著者:湊かなえ、双葉文庫、2012年)
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因果応報!地獄に堕ちろ!
作品を読了して感じるのは、「地獄とは何か?」ということ。
主人公の少女・由紀の祖母は認知症を患い、ことあるごとに由紀に暴力をふるっていました。そのことを「地獄」と感じた由紀は、ある日、濡れたタオルを祖母の顔にのせます。身体を動かせる祖母はあっさりタオルをはねのけますが、加害をふるった由紀に対して「因果応報!地獄に堕ちろ!」と言い捨てるのです。
地獄とは、悪いことをしたから堕ちるものだとずっと思っていました。
だけどそれだけでは十分条件ではなく、悪いことをして“誰か”を地獄に堕とした人間に、因果応報として地獄が戻ってくるものなのではないだろうかと。極端な話、悪いことをしても誰も気付かなかったり、地獄のような苦しみを味わっていなかったりすれば、それは地獄行きにはつながらない。
地獄とは、あくまで因果応報の結果として発生するもの。だからこそ、地獄というのは恐ろしいものなんだなと『少女』(特にエンディングである「終章」)を読んで感じました。
メール、カメラ、ボイスレコーダー、そして裏サイト
単行本発売が2009年ということで、まだスマートフォンが一般的でない時代に書かれたのが『少女』です。主人公たちが有している携帯電話もいわゆるガラケーでしょう。
そしてこの時代、「裏サイト」と呼ばれる匿名希望者たちが蠢くインターネット上の世界が社会問題化されていました。
デジタルツールは変化し続けています。少し前にはLINEのようなコミュニケーションツールや、Twitter(現在のX)やFacebookなどのSNSが、色々な小説に登場しました。
時が変わっても、暗闇のような世界で行なわれている“迫害”は、もはや止めることができないものです。いま、同じ方向性で湊かなえさんが『少女』を書き直すとしたら、どんなツールが使われるのでしょうか。由紀と敦子の15年後の「地獄」を想像してみるのも、小説ならではの楽しみ方のような気がします。
「少女」という揺らぎ
結局、この話は女子高生が主人公だからこそ成立するのだと感じました。
主人公が男子の高校生だったとしても成立しない。女子中学生では早すぎて、女子大生では遅すぎる。「少女」として、ある意味で“ちょうどいい”揺らぎを持っているからこそ、純粋なほど優しくなれるときもあるし、背筋が凍るほど恐ろしいことができたりもする。
由紀という人間の怖さが随所に描かれていましたが、何かをとことんまで愛してしまった敦子の狂気もまた、怖いものです。
「世の中ってこんなもんだよね」
「でも世の中のこと、突き詰めては知らないんだよね」
この、“ちょうどいい”、あるいは“中途半端”な少女たちが、何人かの登場人物たちを「地獄」へと誘っていく。高雄ではないけれど、できるなら近付きたくない存在だと感じてしまったのは、あまりに小説に毒されてしまったということでしょうか。
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本作は、三島有紀子監督により2016年に映画化されています。主演は本田翼さんと山本美月さん。
湊かなえさん原作では、松たか子さんが主人公を演じた「告白」が有名ですが、予告編を観る限り、なかなか不穏な空気をまとう作品のようで……。どんな因果応報が展開されるのか楽しみです。