堀池真希
2024年1月、近隣からのもらい火で実家が全焼。 火災保険無しの状況の中、多くの方からの支援を受け再起をめざしています。 体験したことが、火事の後始末の手引きになればと記事を公開しています。 最終的には消防署への設置や防災リュック備品の一部として無料で配布されることが目標です。 ▼堀池実家火災支援のAmazonウィッシュリスト https://amzn.to/496QFNY
前回は、火事後の生活再建の様子をレポートしました。 今回は、多くの支援をいただいた内容とその裏側を綴りたいと思います。 私たちの場合は、主にFacebookを使って支援を募りました。 振り返ってみれば、当事者が支援を募るより、当事者の周りの人が動くことの方が効果が大きいと感じています。 当事者自ら「助けて欲しい」「見舞金振り込んで欲しい」と言いたくても言えない環境や性格など、さまざまな理由があるはずです。 大切な人がピンチの時、代わりに実行できるのはあなたかもしれま
2016年に東京都港区でスタートし、全国に広がっている『100人カイギ』。 各エリアで活動するゲストが登壇し、100人に到達した時点で解散するというユニークなコミュニティです。 火災の後始末が落ち着いた頃、主催者の方からお声掛けいただき、「早稲田100人カイギ vol.15」にゲストとして登壇しました。 ご一緒した登壇者はこちらの方々です。 私がいただいたテーマは「これまでの人生の凝縮」。 こういう無茶振りは嫌いではないですが、プレゼンのキャッチコピーには悩みました
渋谷ヒカリエ8階にあるコワーキングスペースCreative Lounge MOVが運営するオウンドメディアMOV Channelで、インタビューしていただきました。 詳しくは、以下のサイトをご覧ください。 私自身が大変お世話になっているコワーキングでもあり、今回の火事で多くの支援をいただいたコミュニティーでもあります。 インタビューの中でも「日常的なコミュニケーションをちゃんと大切にしておくことが最大の防災に繋がる」という点もお話させていただきました。 Creativ
このnoteを書き始めた目的の1つとして、火事に遭った時に参考にすべき情報を一覧できるリストを作りたいというのがありました。 さまざまな情報を集め、行動する時に参考にしてきた情報を紹介したいと思います。 ぜひ、あなたの大切な人が火事にあったらこのページを教えてあげてください。 火事の後の手続き 上記以外もお住まいの自治体のホームページもチェックしてみてください。 例えば、東京都新宿区では「被災者支援」というページに情報がまとめられています。読んでいて大変参考になる情
私には夢があります。 実家が火事に遭い混乱したからこそ、そして多くの人からの有形無形の多くの支援をいただいたからこそ、勇気を出して声を出したからこそ得られた数々の知見。 それらの知見を活用して、火災にあった方が、少しでも早く日常の生活を取り戻すための仕組みを作ることです。 そして、それは私一人という小さな力では実現できないと思っています。 火災罹災者支援ネットワークを作り、有形無形に罹災者の支援を継続して行える仕組みのある世の中になって欲しいと願っています。 火災か
火事の経験から我が家で行っている防災対策は「大事なものを空き缶に入れる」です。 実際に実験したわけではなく確証はないので、気休めかもしれませんが、自宅にあるものでやっておいたらいいのではないかと思います。 缶の中は空気が少なく、燃えづらいのではないかと感じました。 ただし、実際の火災現場では缶が長時間高熱になることが予想されるので、中のものが完全に無事とはわかりません。 念には念をということで、ハンコなどの小物は缶の中に缶を入れて保管しています。 特に、重要な書類は
もらい火を体験して思うことは、近隣の家からのもらい火は防ぎようがないということです。 インフルエンザの予防と同じでどれだけ対策しても罹るときは罹る、という感覚に近いでしょうか。 隣の家が目視できないくらい遠いというなら防ぐこともできるでしょう。 今回の火災は、 ・天ぷらの火の消し忘れ ・備蓄していたカセットボンベへの引火→爆発 ・強風 の3点セットで実家へ延焼しました。 火元の家が備蓄していたカセットボンベへの引火で火事が加速して、手を付けられない状態だったそうで
前回の記事では、支援方法として活用した見舞金口座やAmazonほしいものリストの裏側について書きました。 多くの方々に読んでもらい、大変光栄です! 今回は「支援を募るときに心がけた」ことや、「近くで支援をする側として感じた」ことを紹介します。 支援をする側として私の主観でしかありませんが、被災した家族を一番近くで支援する立場として心掛けていたことをお話しします。 二次災害を出さない 帰省して家族の支援に向かった理由のひとつは、車が焼けてしまい移動手段のない家族の運転
そろそろ折り返しが見えてきた実家全焼からの後始末シリーズ。 前回は、火災発生直後から避難所での生活の様子でした。 今回は、生活再建に向けて動いたことをまとめました。 住居の方針を決める まず、今後の住居の方針を決めることが最優先でした。 今回燃えた家は親族所有の家だったので、またそこに帰ることはありません。 検討に上がった選択肢としては、以下3つ。 1.市営住宅 罹災証明書があれば、1年間は家賃免除。ただし人数的に2箇所に分かれる 2.賃貸住宅 家賃は発生する
前回は、実家全焼から最初の1週間を時系列で振返りました。 今回は、火災発生直後からの避難所生活についてです。 公的支援の現実 火災発生直後、家を飛び出した家族は、裏庭や近くの空き地に避難していたと聞きました。 そこで市の生活福祉課の方から、緊急セット(赤いバッグ)と人数分の毛布を住民票と照合しながら渡されたそうです。 今思えば、生存者確認をしていたのでしょう。 緊急セットは、持ち出し用の救急箱のような内容でした。 幸いなことに、怪我人はいなかったので使うことはあ
前回の記事では、実家全焼の経緯を書きました。 火事発生から1週間の心の動きの変化、実際に行ったことをGoogleカレンダーに残していたので、それと共に振り返りたいと思います。 Day1:動揺私が家族からの着信に気づいたのが、火災発生から6時間後の午前10時。 電話を折り返すと、ご近所さん宅に避難させてもらっているとのことでした。 会話の途中でテレビ局のインタビューが入り、取材に応えていました。 電話の時点でわかったことは、全員無事であることと、パジャマのまま外に飛び
2024年1月、愛媛県にある実家が近隣からの延焼(もらい火)により全焼しました。 車も2台が全焼、1台が一部溶けましたが、家族7名全員無事でした。 火元はお向かいさんの午前4時の天ぷらの不始末。 家族は家が燃える音で目が覚め、言葉通り着の身着のまま逃げたので助かったそうです。 私は火災当時東京にいて、連絡を受けてから準備し当日夜には現地入りしました。 現地に着いてわかったことは、 ・火災保険に入っていない ・出火者に重過失がない限り損害賠償請求はできない(失火責任