シンクロ記事
昨日の記事『さみしいという感情とは』を書いてアップしたところ、意外や意外みなさんから多くの共感を得てめちゃくちゃびっくりしています。
どうしても身近なところだけで世の中を見ていると井の中の蛙状態。
数名の周りの人たちが自分にとっての世間になり、そこと違うと「あれれ?自分はズレているのか⁉️」と思うこともある。
まぁ、ズレていようと別にいいんだけど。
ちょっとは気になる。
だけど、こうしてnoteで発信すると、たくさんの方の意見や考え方に触れることができ「あぁ、なんだ。別にこんな考えでもいいんだ」と改めて思うことができる。
だから、noteはやめられないのだ。
コメントでも多くの共感などをいただいたのですが、何気なく見た他の方の記事を読んだ時にもシンクロするような記事を見つけ、それもまた驚きました。
なので、勝手ながらこちらに載せていただこうかと…。
まずはコメントもくださった書きのたねさんの記事
不意にね…。
不意に流れてしまう涙…。
自分でも戸惑いびっくりしちゃうやつ…。
おセンチになっちゃうやつね。
まるでドリカム『すき』の一説にあるような感じで、読みながら頭の中で吉田美和が歌ってました。
『さみしい』の感情にも色々あるんだと考えさせられました。
私との記事とシンクロしたなんて言ったら失礼になってしまうほど、素敵なお話。
続きましては、きよこさん。
最初の書き出しを読んだ時「え?私?私書いた?」と驚きました。
一緒の目線で一緒に遊んであげられない…そのことに罪悪感を持ってしまう気持ち…わかります。
だけど、その代わりになることを探し、それをしていたきよこさん。
それは紛れもなく愛です。
愛だと私は思います。
それでも親としては、子に対してどこかで後悔の念を持ってしまうものなのでしょうか…。
そんな思いもなんとなくわかるのです。
続きましてゆうゆうyu-yuさんのこちらの記事
ゆうゆうさんのお子さんが小さい時の状況が、私と似ているものを感じました。
ペースが合わないこと、他の子と比べて出来ないこと遅いことなどが気になってしまうことも「あぁ、私もそうだったなぁ」と思いました。
ちゃんとさせたくて、ついついイライラしてしまう…。
めちゃくちゃ共感。
ちゃんとって、なんなんだろうって、今なら思うんですけどねぇ。
時が流れ、距離が離れ、今ちょうどいい関係が出来ているゆうゆうさん。
そこもまたシンクロしてる感じを受けました。
たまに本屋にいる娘から私も「気になった本」とか「買った本」というLINEが来ることあります😊
そうすると、ね、なんか、色々考えたりしますね…。色々と…。
yukikoさんのこちらの記事にもかなりのシンクロを感じました。
タイトルからして、気持ち持っていかれました。
周りと比べても仕方ないのに、つい比べて「あ、やっぱり私には母性がないんだな」「母性が足りないんだな」と、答えのない問題をぐるぐるしちゃう。
そんなん何度も何度もありました。
子どもが小さい頃はこんなにも自分が愛情不足な人間なのかってびっくりしましたね。
今思えば、ホルモンやら環境の変化やら責任感やらなんやかんやでそっちに意識がいっていて、「可愛い可愛い」だけじゃやっていけないという思いもあったのかもな…と思います。
それでももう少しイライラは減らしたかったなぁとか、1人時間が欲しいと思い過ぎてたなぁ…と、自分のことを思い出しました。
まだまだたくさんシンクロ記事があったかもしれません。
思い出せる範囲で今回載せさせていただきました。
もし『私のこの記事もシンクロしてるよ』という方がいらっしゃいましたら教えてください。
よろしければ、こちらに追記させていただきたいです。
みなさんからのコメント、そして記事を読むとみな人それぞれ愛情表現っていうのがあって、だけど、どこかで「これでいいのかな?」という思いを持っている。
持ちつつも愛はあるんだと思えました。
表現の仕方、自分の中のやれることやれないことなどなど踏まえて、みんなそれぞれ愛の形というのは、あるんだなぁと思いました。
どれが合っていてどれが間違っているとかではないんですねぇ。
お⁉️ということは、これもまた一元観の考え方ってことかしら⁉️
うんうん。
そうですね。
淋しいと感じても感じなくても、子どもとイチャイチャ出来なくても、子どもと一緒に遊べなくても、イライラしちゃっても、悩んでぐるぐるしちゃっても、そこにはいいも悪いもないのですね。
というわけで、私の初めての【募集企画】一元観エピソード募集中です。
ジャッジしない世界、中立の世界で世の中や自分を見てみたら、きっと生きやすくなる。
よろしければ、応募してみてください。
最後までお読みいただきありがとうございます😊
幸せをありがとう💖
シンクロという奇跡にありがとう💓
うちなる平和を💕
シュカポン🐼