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公共の電波は内輪のもの?
「コミュニティ受けをするのが大事なのか」と
考えさせてもらったのは、ローカル局が発信するラジオで、頻繁にメールが読まれるのは常連。
トークは内輪話で、ラジオという媒体で人様のプライバシーへ、聞き耳を立てている気分だ。
今日のトークは、
MCのアナウンサーが知人と食事に行く約束をしたが、なかなか店に辿り着けなかった話を、同じMCが聞きながら、局のスタッフは爆笑していた。
アナウンサーの知人は、局内の人らしい。
脚色もなく、A店だと思って行ったら、A店から
「それはB店のこと」と言われて、B店に行ったら
「A店さんですよ」結局、A店に戻った。
僅か1分足らずの話へ笑えるオチはないが、
アナウンサーとアナウンサーの知人を知る人には、お腹を抱えて笑える話なのだろう。
公共の電波を使って、zoomで済む話をどうしてやるのか不思議でたまらなかった。
大多数へ受けるものは数少ないかもしれない。
漫才や落語のような普遍性があるものならともかく、素人がやることへは限度があり、
リスナーが聴かなければ、それでいいという。
クリエイティブは内輪向けと訝しく思わせるほど、公共性を持った創作は評価されない。
コミニュケーション能力があれば、それ以外は何も要らない。
他人が「良い」というから「良い」と評価する。
コミニュケーション能力をトーク力と変換しているだけで、そこから外れる人は引き立て役として、有り難くラジオを聴かせていただくしかない立場。
テレビもラジオも不要だから、
商品からその分、値引きしてくれないかな?
どのみち、贔屓にしているユーザーしか忖度しないのだから。
忖度といえば。
わたしが小さい頃になるのかな。
いつだったか、母が買ってきた雑誌ananに、奇妙な広告があった。
「名前はS。職業は作家。現在デビュー作を執筆中」
アホなわたしは、
職業は現在何の仕事をしているかじゃないんだ。
仕事へ就く前に作家と名乗れるんだ、赤川次郎や夏目漱石は本があるのになぁと疑問に感じた経験がある。
思い返せば、東京五輪のシンボルマーク問題が示したように、パクリも仲間内でヨシとされる慣習があるのだから、クリエイターに必要なのは創作する才能ではなく、コミュニケーション能力だと頭に上書きしようね。
さて、わたしもコミュ力を磨いて、
創作の世界で評価される方法を考えないと。