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ルネ・クレールが続く〜代表作「自由を我等に」に込められたもの

ようやく観た「ル・ミリオン」で、今さらながら(こればっかり)ルネ・クレールという監督の偉大さを感じ、続けて観たのが「自由を我等に」(1931年)。小林信彦「2001年映画の旅」(2000年 文藝春秋)の洋画ベスト100に当然入り、<ルネ・クレールの代表作>とされている。(Amazon PrimeU-NEXTなどで配信)

キネマ旬報の外国映画ベスト・テンを見ると、1931年度の2位「巴里の屋根の下」および4位「ル・ミリオン」。1932年度の1位が「自由を我等に」、さらに1933年度の2位「巴里祭」と、クレール作品が並んでいる。

「自由を我等に」の最初の舞台は監獄である。囚人たちは、作業台に向かって並んで座り、木製の馬を製作に従事している。その中の二人エミールとルイが、脱獄を企む。

若干ネタバレとなるので、ご注意を。

鉄格子を切断することに成功、作業場からくすねたフックを利用して高い塀を乗り越える二人だが、二重構造の塀になっている。脱獄が発覚し看守がやってくるのだが、エミールはルイだけでも逃げられるようにと、自分が犠牲となる。

逃げ切ったルイ、レコードの露天商から娑婆での仕事をスタートするのだが、時流にのって商売は大きくなり、ついには蓄音機製造会社の社長にまで上り詰める。

工場では、仕事を求めてきた男たちが、ベルトコンベアで流れてくる蓄音機製造工程をこなしていく。この場面は、チャップリンの1936年の映画「モダン・タイムス」を想起させる。もちろん「自由を我等に」が先にできている。また、監獄の中での作業と対比され、“自由“の意味が提起されているように感じる。

エミールの方だが、年月が経ち出所するも連れ戻され、悲観的になって自殺を試みるが、幸運にも留置所を抜け出すことができる。そして、はからずもルイの工場で働くことになったエミール、ついにルイと再開することになる。そして。。。。。

「ル・ミリオン」同様、音楽もふんだんに使われた喜劇である。サイレント映画の延長戦であるかのように、セリフを廃し演技と音楽だけで見せる場面も多々ある。ただし、「ル・ミリオン」の洒脱なスラップスティックとは違った空気を醸し出す。

そのテーマがタイトルの「自由を我等に」、“自由“とはである。ビジネスに成功し、名士そして資本家となったルイは、本当に“自由“になったのか。工場で働く人々は、受刑者と違った“自由“なのか。金持ちイコール“自由“な人間なのか。

喜劇には難しい理屈はいらない、楽しんで笑えれば良いじゃないか。「ル・ミリオン」は私にとってそんな作品であり、私の好む世界でもある。一方の「自由は我等に」は、社会批判の側面を持っており、それもまた喜劇の持つ力である。



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