原作…宮沢賢治 絵…清川あさみ『グスコーブドリの伝記』
イーハトーブに住む少年グスコーブドリ。
イーハトーブが深刻な悪天候に見舞われ、いちばん大切な穀物オリザも実らず、みんな木の皮などを食べて飢えを凌ぐ日々。
ある日、籠をしょった目の鋭い男が「私はこの地方の飢饉を救いに来たものだ」と言って現れて、「おい女の子、おまえはここにいても、もうたべるものがないんだ。おじさんと一緒に町へ行こう。毎日パンを食べさしてやるよ」と言ってグスコーブドリの妹ネリを籠に入れて攫ってしまいます。
グスコーブドリが「どろぼう、どろぼう」と泣きながら叫んで追いかけても男をつかまえることは出来ず、グスコーブドリは疲れてばったり倒れ…。
…ここまで読んでわたしは「今も0ではないけれど、昔はこういう悲惨な出来事が日本各地で沢山あったんだろうな…。攫われて、遊郭に売られる子はまだマシな方で、それ以外の子は連れていかれた先でもっと酷い目に遭わされたんだろうな…」と悲しい気持ちでいっぱいになりました。
おそらくイーハトーブは宮沢賢治の故郷・岩手のこと。
オリザはお米。
この目の鋭い男は人攫い。
せめて女衒なら家族に多少でも人身売買成立によるお金を渡してくれるだろうけれど、人攫いなら本当に攫うだけなので、家族の暮らし向きが良くなるはずもありません。
だんだんわたしはこの男に腹が立ってきて、グスコーブドリと一緒に「どろぼう、どろぼう」と叫びながらこの男を追いかけたい気持ちに駆られました。
でも昔は家族自らが、子どもやお年寄りや障害者を殺めて食い扶持を減らしていたんですよね…。
それを考えると、家族が手を汚さずに口減らしが出来るという意味では、この男が登場した時に言った「私はこの地方の飢饉を救いに来たものだ」という台詞も間違いではないのかもしれませんが…。
グスコーブドリやネリの気持ちを考えると、やっぱり叫びたくなりました。
そういう悲惨な世の中と自己犠牲を描きながらも、宮沢賢治の文章はあくまでも幻想的で美しい。
この絵本は、宮沢賢治の世界観に清川さんの絵がぴたりと合っていて、悲しくも美しい本です。
後に、イーハトーブにオリザが実りますが、この本においてその稲穂はスパンコールで描かれて光り輝いています。
その美しさから、厳しい土地で生き抜いていく人々の未来に対する希望が伝わってきます。