原作…ワイルド 文絵…いもとようこ『しあわせの王子』
その善良な心を表しているかのような、王子さまの透き通った青い瞳。
あたたかくて柔らかな羽毛の感触が今にもこちらに伝わってきそうな、可愛らしいつばめ。
静かで寂しげな冬の街並み。
美しいけれども残酷に、王子さまとつばめのもとへ降り注ぐ雪…。
『しあわせの王子』は、これまで世界各国で様々な版が生み出されてきましたが、わたしは特にいもとようこさん版のこの絵本が好きです。
この絵本の絵の儚さや、簡潔でありながらもこの物語の悲劇を確かに伝えてくれる文章の素晴らしさもさることながら…、王子さまから宝物を分け与えてもらった人間たちや町の人々の姿が一切描かれないところが好きです。
それらについては「想像する」という楽しみを読者にくれますし、何より、王子さまとつばめのみがはっきり描かれることで、ふたりの強い結びつきが伝わってくるのです。
まるで世界にはふたりしかいないかのように…。
※注意
以下の文は、結末まで明かすネタバレを含みます。
未読の方はご注意ください。
わたしは子どもの頃初めてこの物語を読んだ時、「どうしてこうなってしまうの…? 王子さまやつばめの自己犠牲は尊いし、ふたりの友情は素敵だけど、こんな残酷な結末って…。せめてふたりが天国でいつまでもいつまでも一緒にいられるといいな…」とショックを受けました。
大人になった今読み返してみても、やはり衝撃的なストーリーです。
けれども、子どもの頃と今とでは、受け取り方が変わりました。
勿論、悲しいのは悲しいまま。
けれど、大人になってみると、あることに気づかされるのです。
…きっとこれは教訓だ、と。
王子さまが困っている人たちを哀れんで、何かしてあげたいと望んだのは、立派なこと。
けれど、王子さまはその人たちには意識がいっても、つばめのことまでは意識がいきませんでした。
つばめが王子さまのお願いを叶えた後、南の国へ飛び立とうとした時。
王子さまは更なる人助けのため、良かれと思って、「あと一晩だけいてくれないか」とつばめを留めてしまったのです。
たった一晩だけ。
それさえ過ぎれば、王子さまはつばめを見送るつもりでした。
その、たった一晩延ばしたことが、取り返しのつかない結果を招くなんて思いもよらずに…。
誰かを救うということは、なかなか出来ることでは無く、それ自体は素晴らしいこと。
けれど、王子さまはそのためにつばめの命を代償にしてしまうことに気づきませんでした。
気づいた時には手遅れでした。
…これって、たとえば仕事にばかり時間を割いて、家族や友達といった大切な人との時間を減らしてばかりの人にとっては、身につまされるお話ではありませんか?
仕事をしてお金を稼ぐことは、暮らしていく上でも、また、家族を養ったり、友達と交際する上でも必要なことです。
けれど、もし「あともう少し頑張ったら、家族や友達との時間を持とう」と思っていたとしても、その「あと少し」が、まるで王子さまの「あと一晩だけ」と同じように、取り返しのつかないことに繋がるかもしれません。
いざ時間が出来た時、家族や友達はこの世から旅立った後かもしれません。
大切なのは今。
自分だって、「また明日やろう」と思っていることがあったとしても、明日も生きていられる保証はないのです。
ボロボロになってまで仕事を頑張るのは何のため?
自分にとって本当に大切にしたいものは何?
自分にとって本当に大切にしたいひとは誰?
そこを見誤り、遠くばかりを見つめていると、一番近くにいて欲しい大切なひとと過ごせる時間を失ってしまうかもしれません。
まるで、つばめを失ってしまった王子さまのように…。
わたしはこの絵本からそういう教訓を得ました。
きっと、つばめは「どんな形であっても最期まで王子さまのそばにいたい…」と願ってくれたのでしょう。
きっと、王子さまもその愛に気づきました。
ふたりは天国でこれから先ずっと一緒にいられるのでしょう。
けれど、出来れば、死んでからそうなるのではなく、命あるうちにお互いの愛に気づければ良かったですよね…。
だから、わたしはこの絵本と出会ったことを機に、甥っ子や姪っ子、そして友人と過ごす時間を出来る限り増やすようになりました。
これまでは休日出勤や残業ばかりしていたのに。
勿論、状況によってはせざるを得ない時もありますが、以前とはだいぶ変わりました。
今後は仕事のために仕事をするのではなく、「自分にとって本当に大切にしたいことは何なのだろう? そして、自分にとって本当に大切にしたい人は誰なのだろう?」と自問自答する意識を忘れないようにしたいです。
〈こういう方におすすめ〉
「自分にとって本当に大切にしたいことは何なのだろう? 本当に大切にしたいひとは誰なのだろう?」と模索している方。
〈読書所要時間の目安〉
15分くらい。