文…吉田さらさ 写真…飯田裕子『長崎の教会 平戸、長崎、五島、祈りの地を巡る』
こんばんは。
長崎におけるキリスト教の歴史に興味がある方におすすめの本をご紹介します。
信徒弾劾の過酷な歴史と、教会の清廉な美しさの対比が鮮烈な一冊です。
様々な施設が紹介されていますが、わたしは特にP58〜59で紹介されている「聖コルベ記念館」へ行ってみたいです。
わたしは以前、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所についての本を読んだ時、コルベ神父の存在を初めて知りました。
「カトリックの教えとナチスの思想が合わない」という理由で収容所送りにされたコルベ神父。
ある日、餓死刑に処されることが決まった人(収容所から脱走者が出たからという理由で、この人自身は何も悪いことをしていないのにランダムに殺されることになったそうです)が「自分には妻も子もあるのに」と嘆いていたので、コルベ神父は「自分には妻も子も居ないから」と自ら進んでその人の身代わりになりました。
他の受刑者たちと共に地下牢に押し込められ、パンも水も与えられず、飢えと渇きに苦しむ中、コルベ神父は他の受刑者たちを励まし、普通なら受刑者たちが狂い死にする地下牢の中には祈りと賛美歌が満ちていたそうです。
コルベ神父は地下牢に入れられてから2週間経っても生きていたので、最期は毒を注射されて殺害されたそうですが、その際も穏やかな顔をして腕を自ら差し出したとのこと。
わたしはキリスト教徒ではありませんが、このことを知った時、深く心を打たれました。
もしわたしがキリスト教徒であったとしても、こんな風に身代わりになることは、恐ろしくてとても出来ません。
身代わりになるどころか、自分だけは助かりたくて、無様なほど泣き叫ぶかもしれません…。
けれど、コルベ神父は身代わりになったのです。
黙っていれば、少しでも長く生きることが出来たのに。
いくら神父といえど生身の人間。
きっと怖かったでしょうに…。
それでも「わたしが代わりになります」と申し出た…。
わたしは元々「犠牲」という言葉が大嫌いなのですが、この尊い犠牲には心の底から衝撃を受けました。
さて、そのコルベ神父が生前長崎を訪れていたことを、恥ずかしながらわたしはこの本で初めて知りました。
わたしはコルベ神父とは比べものにならないほど愚かな人間ですが、「コルベ記念館」へ行き、コルベ神父の人柄や生涯に思いを馳せてみたいです。