見出し画像

自尊感情

 先日、『「性格が悪い」とはどういうことか』という本を読んだ。その中で「自尊感情」という概念が紹介されていたのだが、これがなかなか興味深い。世間では「自己肯定感」という言葉で表現され、高いとか低いとか云々されていたりする。

 まずは「自尊感情」という概念の定義を確認する。著者の解説を、次に引用したい。

「自尊感情は、自分自身を評価の対象とした際に、どれくらい肯定的に感じられるのかを意味します。「私は〇〇である」というように、自分がどのような人間であるのかを、自分で認識した内容のことを自己概念といいます。自分のことを考えるときには「こうありたい」という理想の自分自身の姿もありますが、これを理想自己と呼びます。自尊感情の高さは、理想自己と現実自己のあいだのギャップが少ないことも意味しています。」
小塩真司『「性格が悪い」とはどういうことか』ちくま新書、P153)

 ここで注目したいのは、「現実自己」と「理想自己」である。この二者間のギャップが小さいか大きいかによって、自尊感情の高い低いが決まる。
 目標としている理想的な姿があり、それに近づけるよう、日々自分磨きをする。その結果、完璧とは言わないまでも、理想像に肉薄できているという感覚がある人は、「現実自己」と「理想自己」のギャップの小ささから、自尊感情は高めであると言える。

 さてここまで来れば、当然考えざるをえなくなるのが、自分自身の自尊感情である。
 自覚としては、正直、自尊感情が高いのか低いのか判然としない。これが本音である。細かく言えば、「現実自己」がはっきりしないのだ。

「自尊感情が高い人に比べて低い人たちは、あるときに自分自身を特定の言葉で表現したとしても、時間をおいてふたたび表現する際には、自分を表現する内容が大きく揺らぐことが知られています。また、「自分がどのような人物か」を表現する際には、自尊感情が低い人たちは時間がかかる傾向があるとも言われています。」
小塩真司『「性格が悪い」とはどういうことか』ちくま新書、P161)

 著者の小塩真司の言に従えば、「現実自己」のイメージが曖昧な私は、自尊感情が低いということになる。……まあ、そうなのかもしれない。
 私が普段、自尊感情の高い低いを意識せずに生活ができているのは、仮に実態は低かったとしても、それがポジティブに機能しているからである。
 個人的には、「自尊感情の低さ」と「読書」は相性がいいと思っている。
 読書は、足りないもの、過剰な部分、に気づかせてくれる。この効用を素直に引き受けるためには、自尊感情は高いより、低い方がいいかもしれない。もちろん、低すぎては、読書をする気力も起きないかもしれないが。

 ここまで読んでくださった方は、日常的に、自尊感情の高い低いを気にすることがあるのだろうか。気になるところである。




※※サポートのお願い※※
 noteでは「クリエイターサポート機能」といって、100円・500円・自由金額の中から一つを選択して、投稿者を支援できるサービスがあります。「本ノ猪」をもし応援してくださる方がいれば、100円からでもご支援頂けると大変ありがたいです。
 ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?