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古本市のない生活⑦「店主と客の立ち話」

本棚の前での人の行動に、私はいつも心惹かれる。
例えば、本屋の棚の前で、一冊の本を開きながら、活字を追っているのかいないのかわからない目をして、考え事をしている人。
また、哲学書コーナーの前で、デカルトはこうだ、フッサールはああだ、と哲学談義に花を咲かせている二人組。
エッセー本を手に取り、ある一文にくすりと笑っている女性。
本と向き合う人々の姿には、一人ひとりの生き方や信条が反映されているように思えてならない。ときに「その本いいですよね」と声をかけたくなる衝動をおさえて、私も自分なりに本と向き合う。

今回は、古本屋で見られる「人の行動」として、店主と客の「対話」に目を向けてみたいと思う。

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○今回の一冊:荒俣宏「1983年8月 目録から本を買う」(『ブックライフ自由自在』太田出版)

古本屋のいやがること
 神田あたりの本屋で、店の主人と客が四方山話などしているのを見かけると、さりげなく近寄って立ち聞きすることを心掛けている。勉強になるのも確実だが、何よりもまず、聞いていておもしろいからである。
 先日も某書店で、客と店主がやりあっていた。何でも、客が二冊の本を持ちこんできて、店にある一冊の本と交換してくれと談じこんでいるらしい。客の話によれば、「オレはこの店で○○という本の美本を見つけた。これはオレがすでに所蔵している本より状態が良好だ、そこで、わが蔵書にもう一冊オマケを付けるから、その美本と交換してくれないか」という相談である。
 もちろん、話がこれだけなら店主も乗ってきたと思う。しかし客が口にした、思いあまっての〝蛇足〟がいけなかった。いわく――
「オレの所蔵本は○○円、オマケの方も○○円はする。したがってこの交換では、おまえの方が○○円儲かるはずである」
 店主には、この一言がカチンときたらしい。すぐさま反論にかかって、「本の値段をお客さんに決めていただきたくありませんね。○○円儲かるなんてことは、もっての外ですよ!」
「しかし、今いった値は、オレが某書店で買った値だ。勝手に算定したわけじゃない」
「他処の店は他処の店です。あたしら、値付けでメシを食ってるんですからね」
 ――といった調子で、この押し問答は三十分近くもつづいた。最後は客が深謝して、二冊プラス五百円と色を付け、首尾よく交換が成立した。これを一部始終見物していたぼくも、考えてみれば暇人である。
 しかし、正直にいって、神田の書店が持ちこみ本の値踏みに関してここまで意地やら誇りやらを持っているとは思わなかった。そう考えてから改めて、古本の見返しに鉛筆で記してある価格といえども、あだやおろそかには見られなくなった。たった数個の数字の羅列だが、大袈裟にいえば、古本屋の生命がかかっているのである。そうであるから、客が蔵書を古本屋に持ちこんで処分する際にも、皮算用はいつもみごとに潰される。値付けに対する気迫と真剣度が、土台ちがいすぎるのである。
 ただし、古書店が付ける値がどこまで妥当であるか、という問題になると、話はちと違ってくる。「値は体を表わす」と洒落てもいいほどだからだ。つまり、古本は、一冊一冊、その保存状態や内容、装幀の異同により、値が変わってくるからである。そこで目録には、各商品の詳細が記述される。これがまたおもしろい。各書店の実力がもろに出てしまう。
」(P16~17)

作家・荒俣宏の立ち聞き話には、強い共感を覚える。
私も、古本屋に足を運んだ際、店主と客が四方山話をしているのを見かけると、ついつい本棚を物色しつつ耳をそば立ててしまう。こじんまりとした面積の古本屋が多いことも幸い(?)し、たいていどの場所からでも、対話が耳に届いてしまう場合が少なくない。
今回引用した荒俣宏の文章からは、四方山話を通して見えてくる「古本屋店主のこだわり」を摑むことができた。
私も何度か、客が店主に値引き交渉をする場面に遭遇したことがあるが、それが明るいムードで終演したのを見たことがない。大抵はブスッとした店主の顔と、気まずく頭を下げる客の姿が、そこにあった。
私自身、「この本、もう少し安くならないかな」と思うことはあっても、店主に値段交渉を仕掛けたことは一度もない。余程欲しい本であれば、銀行でお金を卸してきてでも購入するが、ほとんどの場合は「縁が無かった」と諦める。
お金に余裕がある人生を歩めるようになれば、この方針にも変更が生まれるかもしれない(当分は来そうにない)。

ここで、私の印象に残っている「立ち話」の思い出を紹介したい。
私がしばしば足を運ぶ某古書店にて。
大分ご高齢の男性が、ゆっくりと店主の方に歩み寄っていって、こう声をかけた。

「あのーすみません、探しとる本があるのですが」
店主は作業をとめて、「なんていう本でしょう?」と問う。
「キリスト教の本なんですがね。日本の」
「作家名とかわかりますか?」
「よう思いだせんのです。とても立派な方です。」
「立派な方? 何時代の方ですか?」
「明治、大正。昭和も生きておったかな?」
「はー……」

これは長期戦になりそうだな、と聞き耳を立てながら思う。ある程度の近代日本のキリスト教者についての知識が自分にはあったため、勝手に男性の求める「立派な方」について考えてみることにした。
すると、

「賀川豊彦、とかですかね?」
「そうそう、賀川さん、賀川豊彦さん」
「何冊か、こちらにありますよ」

自分が勝手に協力するまでもなかった。古本屋店主恐るべし、である。

店主と客はその後、数十分間ほど、立ち話に興じていた。
賀川豊彦はどこへやら。自分の耳に入ってきた話に限れば、学生時代の話、すっかり変貌した店舗周辺の風景の話など、内容は多岐にわたっていたと思う。

本がきっかけとなって会話が始まる。これほど、素敵なことはないかもしれない。

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