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発信体

 みなさんには、互いに改めるべきところを指摘しあえる友人がいるだろうか。
 ありがたいことに、私にはいる。ただ、その指摘を実行に移しているか、というと別問題だ。「彼は、そう考えるのか」とあくまで個人の意見として受け止めてしまっている。

 先日、「個人の意見」スルー技術が使用不可になる事態に遭遇した。
 一週間の間に、二人の友人から、同様のアドバイスを頂戴したのだ。
 内容は、「もっといい靴を買ったほうがいい」というもの。
 内容自体はさほど突飛なものではない。ショックだったのは、このアドバイスをしてきたのが誰だったか、の方にある。
 私の認識が歪んでいなければ、二人の友人は両者ともに、「人は見かけによらぬもの」を体現し、大事なのは外見よりも中身であることを、堂々と口にする人物だった。そんな二人から、一週間のうちに別々の場所で、「もっといい靴を買ったほうがいい」と言われてしまったのだから、スルーできる余裕はない。
 出会った頃とは、大分生活環境も変わってきているから、当然それに合わせて主義・信条も変化する。二人の友人はもう「人は見かけによらぬもの」の体現者ではないのだ。

 こんな風に嘆いていると、意地でも「大事なのは外見よりも中身である」を力説したい人間に思われてしまいそうだが、そういうわけでもない。単純に外見のコーディネートに対する関心が薄いので、できればこの立場の方が楽、という程度だ。
 これでも大分、考え方はマイルドになった。二十歳前後ぐらいまでは、「大事なのは外見よりも中身である」に偏っていたと思う。大して自分自身、「中身」が良いわけでもないのに。

「たしかにわれわれは一目でこの芸術に圧倒され、戦慄さえおぼえるのですが、その理由を知るには知性を働かせなければならない。芸術にいちばん似ているのは人間です。人間を一目見ただけでその威厳や美しさに戦慄することはよくあることです。でもわれわれが戦慄したのは、その人間の目の光や、身振りや、いったことばやしたことのせいなのです。人間は外観であると同時に複雑な意味の発信体なのです。」
若桑みどり『イメージを読む』ちくま学芸文庫、P35〜36)

 マイルドになるきっかけとなったのは、美術史家・若桑みどりの上記の文章に触れてからである。
 私はこの文章に一目惚れした。こういう表現が適切なのかは分からないが、私の心の動きを言語化するなら、「一目惚れ」という言葉が一番しっくりくる。
 本の中の一節をもって、それまでの凝り固まった考えに柔軟性が与えられたわけだから、本の力、言葉の力は凄まじいと改めて思う。




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