行春
去年は行けなかったから、今年は花見行こう。
そういう旨のメッセージが、友人から届く。花見の最盛期も過ぎて、そろそろ人も疎らになっているだろうと予想して、よし行こう、とメッセージを返した。
*
花見当日。友人宅から一番近いスーパーが待ち合わせ場所である。五、六分前に到着して待っていると、前方にニヤニヤしながら近づいてくる友人の姿が見えた。
「〇〇に会うと安心する。何も変わってなくて」
「よく会ってるからでしょ」
「そうかな」
「そうでしょ。数年会わないようにすれば、誰だって見違える」
「うーん、そんなもんかね」
こんな中身のないやりとりをしながら、桜見の現場に向かう。
予想に反して、桜を見る人の数はまだまだ多かった。話し声に耳を傾けてみると、様々な言語が飛び交っている。もしかしたら、日本語話者は僕たち二人だけかもしれない。そんなことも思ったりした。
「さて、桜見ながら、これ読みますか」
桜の見える、手頃な石段に腰を下ろすと、友人はバックから一冊の本を取り出す。表紙には"蕪村句集"とある。
「句集読みながら、桜見るの? 渋いなー」
「おっ、蕪村も同じこと感じてんじゃん、みたいな句が見つかるかな、と思ってね」
そう言って、友人は本を捲り始めた。
これとかどうよ、と言って、一句読みあげる。過ぎ去ろうとする春をうたった句のようだ。一発目から、なかなか良さげである。
満足げな友人の表情を見て、私も一句選びたくなった。「自分にも選ばせて」といって、友人から本を受け取ると、更なる名句を求めてページを捲る。
読みあげた後、数秒の沈黙が流れる。「……"おい"って何?」と問われたので、「行脚僧や修験者などが仏具・着替え・食器など荷物を入れて背に負う箱、って書いてある」と答えると、「……その句を選ぶの、ちょっとカッコつけ過ぎやな」と言われてしまった。
*
結局この日は、桜をちらちら見ながら、『蕪村句集』で遊びたおした。俳句の面白さに気づけた、充実の一日だったと思う。
※※サポートのお願い※※
noteでは「クリエイターサポート機能」といって、100円・500円・自由金額の中から一つを選択して、投稿者を支援できるサービスがあります。「本ノ猪」をもし応援してくださる方がいれば、100円からでもご支援頂けると大変ありがたいです。
ご協力のほど、よろしくお願いいたします。