メリハリ
本を読み続けることの利点は、定期的に「死」について考える機会を持てることだ。
「死」を考えることは、お世辞にも快適な行為だとは言えないが、自分の生活を見つめ直す上で、これほど便利な事象もない。
*
最近手に取った本に、次のような記述があった。
自分もいずれ死ぬのだ、という現実を、もっとも痛感させられるのは「他者の死」である。年齢を重ねることについても同様で、記憶の中ではまだまだ幼かった子どもが、再会時に体格の良い青年に成長しているのを目にして、「歳も取るはずだわ」と呟いてみたりする。
他人も私も、皆同じように歳を取っていく。この前提のもと、社会は動いている。
人生に「死」という限りがあるからこそ、私たちは日々の生活に、ある程度メリハリをつけることができる。
志望校合格のために受験勉強に明け暮れる学生さんや、明日の会議のためにプレゼン資料をまとめている会社員だけが、タイムリミットに追われているわけではない。ソファーでくつろぎながら、ぼけーっとNetflixを見ている人であっても、「人生」という制限時間の只中にある。「こっちはくつろいでるんだから、余計なこと言うな!」という阿鼻叫喚が聞こえてきそうだが、これは現実だ。
*
人生に限りがあることを憂いて、不老不死を夢想する人もいる。もし仮に実現するようなことがあれば、我々の生き方は大きく変容することだろう。
先程私は、「皆同じように歳を取っていく」という前提が、現今の社会では共有されていると述べた。そうであれば、おそらく不老不死が実現した社会では、「皆同じように生き続ける」という前提が要求されるだろう。友人・知人が次々と亡くなっていく中で、自分は死ぬことなく生き続ける。この孤独な状況に、耐えられる人は少ない。
※※サポートのお願い※※
noteでは「クリエイターサポート機能」といって、100円・500円・自由金額の中から一つを選択して、投稿者を支援できるサービスがあります。「本ノ猪」をもし応援してくださる方がいれば、100円からでもご支援頂けると大変ありがたいです。
ご協力のほど、よろしくお願いいたします。