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猫宛

 事前に「来年以降、年賀状は送りません!」と周知しておかなければ、年賀状が届いてしまう、と嘆ける人は幸せである。
 世の中には、わざわざ宣言しなくても、年賀状が届かない人がいる……例えば私とか。

 こういう文章を書くことになるだろうと、去年の年末あたりは思っていた。というか、それで構わないとも思っていた。こちらから年賀状を送る手間が省ける。
 ただ、この予想は外れてしまう。学部生時代にお世話になっていた韓国語の先生から年賀状が届いたのだ。
 ポストの中にそれを見出したとき、ほのかな嬉しさと罪悪感が、同時に心中に広がった。先生は去年も送ってきてくれていたが、私はそれに返事をせずじまいだったからだ。
 こういう場合、「来年は送らないようにしよう」となりそうなものだが、そうはならず、わざわざ手書きのメッセージまで添えられている。

 早速こちらからも送ろう……良心的な人間であればそうなるのだろう。が、どうも身体が動かない。この一件のために年賀状を買いにいくのは面倒だった。
 ただ、無反応でいるわけにもいかない。せめてメールでお詫びの言葉を送る必要はあるだろう。
 私はメールボックス内を漁りに漁って、なんとか先生のメールアドレスを発掘することができた。
 問題は、どんな文面を送るか、である。年賀状の代わりに、メール内で新年の挨拶をする、それで済まそう。最初はそんな風にも考えたが、味気ない。これではお詫びの気持ちが示せていないようにも思われた。

 先生から届いた年賀状をまじまじと見る。手書きのメッセージ。先生と猫のツーショット写真。先生と猫の。猫の……あっ。

「ねこに来る賀状や猫のくすしより」
大岡信『折々のうた 三六五日』岩波書店、P16)

 ツーショット写真から、一つのうたが思い出される。作者は、俳人の久保より江。

「「くすし」は医師。ふだん飼い猫がかかっている医師から、猫あてに年賀状が来たのである。大正十五年の作。七十余年前の日本人の生活情景である。今では動物医院からカレンダーが届くことはあるが、年賀状となると、さていかが。」
大岡信『折々のうた 三六五日』岩波書店、P16)

 大岡信による、「ねこに来る〜」の解説文の一部を引いてみた。
 動物医院から猫あてに年賀状が届く。猫に年賀状を送る……これは真似るしかない。
 私はメール上で、これは悪ふざけではなく真剣であることが伝わるトーンで、先生と一緒にうつっている猫さんにも年賀状を送りたい、という旨をしたためた。もちろん前段で、久保より江のうたを紹介してからである。
 メールを送ってから数時間は、なんてことをやってしまったんだ、と後悔に苛まれたが、その後届いた返信には、「楽しみにしていますよ!」という温かいメッセージが添えられていて、ホッとした。

 ということで、私は来年は、少なくとも二枚年賀状を送ることになった。送り先は、女性一人と猫さん一匹。




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