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京都語
第三、第四の故郷と呼べるぐらいには、京都という土地に愛着を抱いている。
転校の繰り返しだった子ども時代を振り返れば、これほど長期間同じ土地に住み続けていること自体がイレギュラーだ。その一点だけでも、愛着を抱く十分な理由になる。
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一方、ただ住み続けるだけでは、溶け込めない部分もある。その一つが、京都で用いられている方言、京都語。一向に話せるようにはならないし、相手の発する京都語の真意を摑めているかも怪しい。
前々から、一度じっくり本でも買って、京都語を学びたいと思っていた。ただ、いざ書店に足を運んでみると、どれが最適な一冊なのか妙に悩んでしまい、結局手が出ない。
これではあかん、ということで思いついたのが、京都生まれ京都育ちの友人に意見を乞うこと。「これなら、まぁ、間違いはない、って本があったら教えてほしい」と伝えたところ、「考えときまっさ」と言われた。
それから約二週間後、その友人と食事をした際、「そういえば、この前の」と言って、京都語の入門書を一冊勧めてくれた。題は、『京都語を学ぶ人のために』。世界思想社の「〜を学ぶ人のために」シリーズの一冊。京都語版が出ていることは知らなかった。
わずか二週間で、入門書をセレクトしてきてくれる。ありがたさで胸がいっぱいになり、これは腰を据えてやらねばと、京都語学習の意欲がさらに高まった。
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本の中身だが、さすが京都出身の友人が勧めるだけあって、明瞭かつ面白い。
方言を扱った入門書には、内容が文法的な解説に終始して、日常と乖離しているものも散見されるが、本書ではそういうことはなく、実用性がきちんと確保されている。
そんな本であるから、心も弾む。ウキウキしながら、ページを捲っていると、ある文章が目に留まって、一気に心身が凍りついた。
「「考えときまっさ」というのも、表向きは「考えておきますよ」ということなのだが、実際は拒絶の表現なのである。「そのお話は結構なことやと思いますけど、まあ考えときますわ」のようにいう。きっぱり断るのを避けた物言いである。」
(堀井令以知『京都語を学ぶ人のために』世界思想社、P41)
「考えときまっさ」は……実際は拒絶の表現。実際は拒絶の表現、実際は拒絶の表現、拒絶の表現、拒絶の表現……。
友人は確実にあのとき、「考えときまっさ」と口にした。口にしたが、二週間後には本を紹介してくれた。いや、紹介したからといって、頼まれたときに拒絶していなかったとは限らない。しぶしぶ、いやいや、本を選んでくれた可能性もある。
恐ろしいのは、しぶしぶ選んでくれた可能性がある本の中に、「考えときまっさ」の記述があること。これはたまたまなのか、それとも意図的……?
気になって、気になって、その日はそれ以上、本を読み進めることはできなかった。
今度友人に会った際、ことの真相を訊ねてみたいと思う……いや、やめた方がいいかもしれない。
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