『世界』
岩波書店が刊行する月刊紙『世界』が、四半世紀ぶりにリニューアルした。
『世界』は、私が定期的に読んでいる数少ない雑誌の一つである。
硬い。この二字は、『世界』に対するイメージとして、よく口にされる言葉だ。実際に読んでそう感じている人もいなくはないのだろうが、大方は発行元の岩波書店に対する印象を、『世界』に向けて転用しているに過ぎない。
ちなみに私は、この「硬さ」を求めて、雑誌を購読している。2010年代以前がどうであったかは分からないが、少なくともここ数年の『世界』には、「硬さ」がありつつ「柔軟性」もある、という絶妙な柔らかさを見せている。これ以上硬くなっても、柔らかくなってもいけない。
その点で、今回のリニューアルには、期待と不安があった。柔らかさへの傾斜。私の危惧はここにある。とはいえ、毎月楽しませてもらっている雑誌でもあるので、『世界』には小さな声援を送りたいと思う。
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雑誌『世界』の行末を考える上で、一つ紹介しておきたい論稿がある。
批評家・大澤聡の「意見が嫌われる時代の言論」。本稿では、意見よりも情報を重視する、現代人の傾向が分析されている。
大澤が「さんざん報告されてきた現象」と語るように、現今の社会はお世辞にも有識者(専門家)の意見が尊重される状況にはない。ここに見られる「意見を押し付けられたくない」という心情は、他人に「意見を押し付けてくる」と思われたくないという心情とセットになっており、断定や言い切りが避けられるようになる。
「意見を押し付けられたくない」という心情は、有識者に対する敵対心となっても現れる。その主戦場となっているのが、X(旧ツイッター)だ。
まさか『世界』の誌上で、「ブレイキングダウン」というワードを目にするとは思わなかった。
試合時間を極端に短くするという、この格闘技番組の制限が、視聴者に「ひょっとしたら素人がプロを負かすかも」という期待を抱かせる。
X(旧ツイッター)でも、140字という字数制限がユーザーに課せられることで、記述内容の正確さではなく、どれだけ他のユーザーを唸らせるかという点で、勝ち負けが決まるようになる。どれだけ拡散されたか、「いいね」されたかが指標となり、それが「世間一般からの支持」と見做される。たとえ専門家の意見の方が「正確」であったとしても、拡散・いいね数が伸び悩めば、「負け」の烙印を押されてしまう。
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「意見」が嫌われる時代において、言論誌『世界』の歩む道は決して安泰ではない。
見せかけの「中立性」に陥って、曖昧で中身のない記事を垂れ流すメディアが少なくない中、『世界』には「硬さ」と「柔軟性」を兼ね備えた、言論・発信を期待したい。
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