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破局
彼女は物を見るとき、目を細める癖があった。
知り合ったのは、大学一回生のとき。入学直後のオリエンテーションの時間に意気投合し、今でも時々連絡を取り合う程度の、軽やかな友人関係が続いている。
確かあれは大学一回生の初秋。まだ夏の暑さが残る公園で、「彼氏ができたんよ」と告げられた。友人関係から出発し、今後も変更の予定が皆無だったとはいえ、突然の報告に少し困惑する。特にかける言葉も見つからなかったので、一先ず「うらやましいなー」と反応した。
それから一ヶ月も経たないある日。講義終わりのフロアで、眼鏡をかけた彼女に話しかけられる。「あれっ、眼鏡?」「うん、眼鏡」とやりとりしたあと、「この前言ってた彼氏と、別れた」と告げられた。またもや突然である。「別れたって……付き合いはじめたばかりだったよね?」と問うと、「うん、そう。でも、別れたよ」という。あまりにあっさりした反応に、私は思わず笑ってしまった。
*
どうして別れたのか。そのストーリーを聞かせてもらったとき、私の頭に幾つもの「⁉︎」が浮かんだ。
「眼鏡かけて彼氏さんと会ったら、なんか違うなーと思ってね」
眼鏡を通して、初めてクリアに彼氏さんの顔面を見た。別に不細工というわけではない。ただ、私の好みではない。「彼氏さん、かわいそうだね……」「申し訳ないことをしたな、とは思ってるよ」。
ここでふと、一つ気になることができたので、質問する。「あの、自分の印象は変わった?」。彼女はニヤニヤしながら、「全然。可もなく不可もなく」と答えた。
上記のやりとりをしてから、二ヶ月は経っていただろうか。たまたま食堂で顔を合わせた際、「なあ、この本知ってる?」と話しかけてきた。
「「僕に対してだったら何も遠慮することないもの。眼鏡かけてたってやっぱり君のこと好きだよ。かわらないよ。君だって、僕が眼鏡かけてても好きになってくれたじゃないか」」
(武田泰淳『ニセ札つかいの手記』中公文庫、P17)
引用したのは、武田泰淳の短篇「めがね」の一節。「これ、私が経験したのと一緒じゃない? あっでも、私は別れちゃったけど」。
この作品のことを、彼女は母から教えてもらったという。スピード破局のあらましを笑いながら話したところ、「こんなのあるよ」と本短篇の話になった。
「めがね」は、同じ会社に勤める、目の悪い男女の、密かな恋愛模様を描いた作品である。その中では、世の物事の多くが「はっきり見えていない」ことによって駆動している現実が暗示される。恋愛関係といった個人的なもの、そして社会制度にいたるまで。
「はっきり見ないで済ませた方が、幸せなこともあるかもね」。彼女はそう口にしたあと、好物の唐揚げ丼を食べ始めた。
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