校正者
ある作家の作風に心惹かれて、その人の全作品を漁っていく。この活動を「本」に当てはめたとき、その対象は必ずしも「著者」だけに限定されない。
これまで色々な本好きに会ってきた中で、特定の装幀家・デザイナーが生み出した本を追いかけてきたという人は、想像以上に多い。
よく耳にするのは、和田誠と真鍋博。誰が著者であるかは重要ではなく、とりあえず和田誠や真鍋博が携わっているのなら、買い求める。こういう熱心なファンに、私は三人ほど会ったことがある。
一人目のファンから話を伺ったときは、私の方がそもそも和田誠と真鍋博を正確に認識しておらず、「へえ、そんな方が……」という反応をしてしまった。実はその時点で、すでに星新一の一連の作品を通して、彼らの仕事に触れていたわけだが。
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著者、装幀家に共通しているのは、彼らの仕事はきちんと形として残っているということである。なぜこんな当たり前の話をするかといえば、本作りに携わる人の仕事が、必ず読者が確認できる形で残るわけではないからだ。
校正者の仕事は、きちんと完成品の中に反映されている。ただ、読者はそれを目で確認できない。いや、実際は見ている。見ているが、ピンポイントに「この箇所は、校正者の技が光っている」と評価することは難しい。
引用文にもあるように、読者が校正者の仕事を意識するのは、紙の上に校正ミスを発見したときである。スポーツの審判が誤審のときばかり注目されるように、校正者は校正ミスをしたときに注目される。なかなか辛い仕事だ。
少しでも報われるように……といったらおかしいが、できる限り本を読む際は、校正者の貢献を意識においておきたいと思う。
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