視線
フードコートでプレーンオムライスを食べていたら、どこかから視線を感じて、手が止まる。
感じる方向に目をやると、ベビーカーに乗った幼子がこちらを見ている。
目が合ったので、ぎこちなく笑いかけると、幼子も微笑を返してくれた。素晴らしい笑みに満足して、また食事に戻ろうとすると、幼子のいる方向から何かが飛んできた。摘み上げると、丸っこいカステラである。どうやら幼子が投げてきたらしい。
あのーこれ飛んできたんですけど……と幼子の隣にいたお母さんに話しかけると、「あっ、ごめんなさい」との反応が。幼子に向き直り「また、投げちゃったの」と声をかけるも、幼子の方はニコニコしている。
この笑顔があれば、何をしても許してもらえそうだ。
*
フードコートで幼子とささやかな交流をしているとき、一つ頭に思い浮かべている文章があった。
そう。そうなのだ。私があの幼子と対しているとき、そこに見ていたのは無限の可能性だった。この子の選択次第で、どんな存在にもなることができる、そう思えるような。
赤の他人でさえこう感じるのだから、横に座っていたお母さんの期待度といったら、相当なものだろう。無限の可能性が花開くかどうかは、子育てのクオリティーに左右されると受け止めれば、期待度はプレッシャーを生むことにもなる。
*
私と目が合ったとき、幼子は何を感じていただろう。「うわっ、なんかおっさんが笑いかけてきた。気持ち悪ッ」と感じつつ、穏便に済ませるために軽く微笑み返す。……そういう計算がなされていなければいいが。
※※サポートのお願い※※
noteでは「クリエイターサポート機能」といって、100円・500円・自由金額の中から一つを選択して、投稿者を支援できるサービスがあります。「本ノ猪」をもし応援してくださる方がいれば、100円からでもご支援頂けると大変ありがたいです。
ご協力のほど、よろしくお願いいたします。