
境地
再読しようかなと度々思いつつ、結局躊躇して、手に取れずにいた本がある。
ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』。
先日、ようやく再読にこぎつけたので、記念にこの記事を書いている。
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初めて『ロビンソン・クルーソー』を読んだ頃、私は人生でもっとも困窮していた。
進学資金を自前で準備しなければならない関係で、とにかく生活費を切り詰めて、種々の労働に打ち込む。交遊費を確保できないから、友人との交流は激減し、もっぱら休日は読書の時間にあてられた。
始終「お金どうしよう……」という悩みが頭の中で充満している。そんな状況下で本を読んでしまうと、その本に当時の辛い記憶が染み込んでいってしまう。いまだにタイトルを見るだけで、「あの頃、読んだな……」と溜息が出る。
その傾向が特に顕著で、辛い記憶がべっとりと本にへばりついてしまっていたのが、本稿の主役『ロビンソン・クルーソー』だった。
この冒険譚をお読みになった方であれば、なぜ私が当時本書に一撃くらわされ、今のいままで再読できずにきたかが、なんとなく想像できると思う。
冒険心旺盛な一人の男が、酷い海難に巻き込まれ、ある無人島で27年間もの生活を強いられる。
ストーリーはいたってシンプルだが、起こっていることは過酷である。現代を生きる我々には耐えがたい日々が、主人公の男を襲う。
無人島であるから、当然話し相手がいない。男は思索に耽りがちになり、それを読者と共有することになる。
「世界に人の住めない土地はいくらもあるが、漂着するのにこれほど都合のいい場所はまずあるまい。ここにはつきあう人間も、残念ながらいないかわりに、こちらの命をおびやかす猛獣も、獰猛な狼や虎もいないし、食べると危険な猛毒を持つ生き物や、わたしを殺して食う蛮人もいない。
早い話が、わたしの暮らしは不幸なものであると同時に、恵まれたものでもあった。」
(ダニエル・デフォー著、鈴木恵訳『ロビンソン・クルーソー』新潮文庫、P210〜211)
試行錯誤を重ねることで、少しずつ生活の質が向上していく。その中で男が辿り着いたのは、「惨めなだけの境遇などこの世にはまずない」「どんな境遇にも負の面もあれば感謝すべき正の面もある」(P112)という境地だった。
金がない、金がないと苦しんでいる人間が、無人島暮らしの男にこんなことを言われてしまったときの心情を想像してみてほしい。
「言われてみれば、そうかも……」と納得する自分と、「いやいや、いうてこれはフィクションだから」と受け入れられない自分が、渾然一体となって、お世辞にも爽快とは言えない読後感につながった。
この読後感はその後も尾を引いて、再読を拒むほど、『ロビンソン・クルーソー』を忌避するようになってしまう。
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とはいえ、いつまでも「再読したい……でもしたくない」を繰り返すのは、気持ち的に煩わしい。よって、先日思い切って、『ロビンソン・クルーソー』を新調し、一気に読み切った。
感想を言えば、シンプルに面白い、これに尽きる。様々な作家が、いたるところで「この本に影響を受けた」と口にする理由が、このシンプルさからくる包容力にあることが分かった。
読書中、辛い記憶が疼く場面も幾度かあったが、それ込みでいい読書体験になったと思う。
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