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縁遠い
縁遠そうなので、話しやすいのかもしれない。
私はしばしば、友人・知人から失恋話を聞かされる。暗い声音で「話を聞いてほしい」と言われたときは、大抵失恋の話が待ち受けている。
なぜ私に話すのか。失恋話を聞きながら、その理由を考える。冒頭に挙げたのが、考えられる一つの理由で、恋愛熟練者に話すとああだこうだ言われそうだから、いっそ無縁そうに見える人に話した方が、静かに聞いてくれそう……そんな感じだろうか。自虐的過ぎる発想かもしれない。
もう一つ考えられるのは、「なんか良さげな本を紹介してくれるのでは」というものである。完全に傷が癒えることはなくても、次に進めるエネルギーをくれる本。そういう本を教えてほしい。直接言われたことはないけれど、実際に本を勧めると喜んでもらえることが多いので、私の読みはそこまで外れていないように思う。
まさか私に、次の恋愛相手を紹介してほしい、と望んでいる人はいないだろう。
*
実際に失恋話の最中に、相手にお勧めした本を一冊紹介したい。
「恋人が別れるときは
胸もつぶれるおもいがして
希望はみなほろびはて
死ぬほかはないという心になるが
すこし歳月がたてば
ああ、あれほどに溜息の種であった
かの女をながめる眼の
なんと冷たくなることよ。
二人が寄りそって
雨が降ろうと風が吹こうと
「恋」の翼から、その羽根を
毟り取っていたのだから
恋は飛べなくなってしまうかも知れぬが
春が過ぎたならば羽根がなくて
哀れっぽくも身慄いするばかりだろう。」
(阿部知二訳『バイロン詩集』新潮文庫、P196〜197)
引用したのは、イギリスの詩人・バイロンの「「恋」がいつまでも」の中の一節。
普段私は人に本を勧めるとき、自分がピンときたもの、学びにつながったものを紹介するようにしている。
ただ、上記のバイロンの作品だけは、事情が異なる。読後、自身がピンときたというよりも、「この本が沁みる人がいるはずだ」という感覚の方が先にきた。
「甘い恋人たちよ、待ちわびながら
幾年もかさねて行って
今さら夢からさめたように
気がついたりするものではない。
変りはてた相手の心を
おたがいに怨みながら
憤ったり、罵ったりするのは
見られたものでない。
愛の衰えるきざしがみえて
まだすっかり消えてしまわぬときに
すべての情熱が傷ついて
尽きはてるまでじっと待とうとは思うな。
一度おとろえはじめたならば
もう恋の天下はおしまいだ
仲好く別れたまえ、ーーさよなら、といって。」
(阿部知二訳『バイロン詩集』新潮文庫、P198〜199)
どうだろう。皆さんは上記の詩が胸に沁みるだろうか。
惰性の恋愛を認めないバイロンの姿勢は、場合によっては、失恋で落ち込む人を勇気づけるかもしれない。「次だ、次」と背中を押してくれている。そう感じる人もいるだろう。
ちなみに私はこの本を、これまで三人の友人に勧めてきた。そのうちの一人は、この本を実際に読みだす頃には、すでに新しい恋人との交際をはじめていた。……活発で何よりである。
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