伝染
先日、後輩さんのお宅で、ホラー映画の鑑賞会を開いた。
参加者は三名。後輩さんとその友人、そして私である。
鑑賞したのは、Jホラーの定番『リング』。私は何度もこの映画を見ているが、残りの二人は未視聴。後輩さんはホラー映画が苦手であり、ご友人はそもそもホラー映画に関心を持ったことがないらしい。
「今日は映画ではなく、二人のリアクションを見て楽しもう」と心に決めた。
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二人とも、映画制作者の狙い通りに、同じタイミングで驚いていた。
本編終了後、「どうだった?」と感想を訊くと、次のような反応が返ってくる。
後輩さん「今だと、呪われたくても手段がないですね」
ご友人「どういう理屈で、呪いのビデオを見たら人が死ぬんですか」
ご友人の、ホラー映画との相性の悪さが際立っているが、そこは突っ込まないようにするのがホラー映画の前提だ、と説明するのも味気ない。
後輩さんの指摘についてはごもっとも。呪いのビデオを見たくても、それを再生する機械が身近にない。
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最近入手した、民俗学者・宮田登の著作に、『リング』についての記述があった。
ここでいう『リング』とは、映画の原作となった鈴木光司氏の同名小説を指す。ビデオの呪いが人々に伝染していく設定は同じだが、井戸から貞子が這い出てくる、あの有名なシーンは小説にはない。
宮田登によれば、『リング』に見られる、呪いの伝染の有り様は、すでに九世紀の『延喜式』觸穢條の中に確認できるという。例えば、ある対象Aから呪いを引き受けたBが、第三者のCに接近した場合、そのCにも呪いが伝染する。Bの行動如何によっては、BとC両者とも呪いから解放される場合もあり、その細かな内容が『延喜式』、つまり法令として定められていたのが、古代の日本であった。
宮田は「古井戸」にも注目し、『番町皿屋敷』と『リング』の類似性を指摘する。この世とあの世をつなぐ通路としての「古井戸」は、この世に未練・恨みを持った女性が這い出てくる場として、江戸と現代の両作品で用いられている。
『リング』等の日本のホラー映画は、時代時代の最新メディアを取り入れつつ、ベースでは日本の文化伝統の連なりの中にある。こう言えるかもしれない。
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