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伝染
先日、後輩さんのお宅で、ホラー映画の鑑賞会を開いた。
参加者は三名。後輩さんとその友人、そして私である。
鑑賞したのは、Jホラーの定番『リング』。私は何度もこの映画を見ているが、残りの二人は未視聴。後輩さんはホラー映画が苦手であり、ご友人はそもそもホラー映画に関心を持ったことがないらしい。
「今日は映画ではなく、二人のリアクションを見て楽しもう」と心に決めた。
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二人とも、映画制作者の狙い通りに、同じタイミングで驚いていた。
本編終了後、「どうだった?」と感想を訊くと、次のような反応が返ってくる。
後輩さん「今だと、呪われたくても手段がないですね」
ご友人「どういう理屈で、呪いのビデオを見たら人が死ぬんですか」
ご友人の、ホラー映画との相性の悪さが際立っているが、そこは突っ込まないようにするのがホラー映画の前提だ、と説明するのも味気ない。
後輩さんの指摘についてはごもっとも。呪いのビデオを見たくても、それを再生する機械が身近にない。
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「『リング』という鈴木光司氏の流行っているホラー小説があります。ごらんになった人は筋は知っておられるから詳しいことはいいませんが、要するにこのモチーフの特徴は、ビデオによる悪霊=ウイルスの伝染で、それに加えてテレビが利用されていて、ある定められたビデオを、見てはいけないというタブーがある。それを見た人間は十三日目に死んでしまうというのです。それが女子高校生の噂さに乗って広がっていく。実際上そのビデオを見てしまった人が死んでいく事件が頻発するということで、噂さは増殖していった。」
(宮田登『新版 都市空間の怪異』角川ソフィア文庫、P263〜264)
最近入手した、民俗学者・宮田登の著作に、『リング』についての記述があった。
ここでいう『リング』とは、映画の原作となった鈴木光司氏の同名小説を指す。ビデオの呪いが人々に伝染していく設定は同じだが、井戸から貞子が這い出てくる、あの有名なシーンは小説にはない。
宮田登によれば、『リング』に見られる、呪いの伝染の有り様は、すでに九世紀の『延喜式』觸穢條の中に確認できるという。例えば、ある対象Aから呪いを引き受けたBが、第三者のCに接近した場合、そのCにも呪いが伝染する。Bの行動如何によっては、BとC両者とも呪いから解放される場合もあり、その細かな内容が『延喜式』、つまり法令として定められていたのが、古代の日本であった。
「『番町皿屋敷』という江戸時代の有名な歌舞伎があります。お菊さんという十八歳の腰元が、青山播磨という旗本と深い仲になり、その奥方の恨みをかって中傷され、青山家の大切なお皿を割ったということで切り殺されて、古井戸のなかに投げ込まれた。そうすると、古井戸の底からお菊の怨念が幽霊となって、一枚、二枚と皿を数える声が聞こえるというお芝居でした。」
(宮田登『新版 都市空間の怪異』角川ソフィア文庫、P269)
宮田は「古井戸」にも注目し、『番町皿屋敷』と『リング』の類似性を指摘する。この世とあの世をつなぐ通路としての「古井戸」は、この世に未練・恨みを持った女性が這い出てくる場として、江戸と現代の両作品で用いられている。
『リング』等の日本のホラー映画は、時代時代の最新メディアを取り入れつつ、ベースでは日本の文化伝統の連なりの中にある。こう言えるかもしれない。
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