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時代小説

 先日、SNSの方に、質問メッセージが届いた。とても興味深い質問だったので、今回は質問者さんから許可をもらった上で、内容を紹介してみたいと思う。

 質問者さんは大学で歴史学を学ばれている学生の方。質問の中身は、いかのようなものであった。

 時代小説を読みたいのですが、歴史学を学んでいることもあって、どうも読むのに抵抗感があります。抵抗感を感じなくてすむ、時代小説があればおしえてほしいです。

 この悩み、とてもよく分かる。私も専攻が歴史学であるから、この「抵抗感」に共感できる。
 質問者さんはなぜ抵抗感を覚えるかについては書いていないが、おそらく「実証精神」がそう感じさせるのだろう。歴史学徒の「実証精神」。できる限り当時の史料にあたって、歴史的事実に肉迫する。どれだけ史料をかき集めても、歴史的事実そのものに直に触れることはできない。その現実を噛みしめながら、それでも学究の手はとめない。
 こういう姿勢が身につくと、「歴史的事実」を題材にした時代小説を読む際にも、その精神が駆動するようになってしまう。今目の前で描かれていることは、歴史的事実に忠実なのか、それとも完全なる創作なのか。いちいち気にしてしまって、純粋に物語が楽しめなくなってしまうのだ。

 質問者さんの問いに話を戻そう。「抵抗感を感じなくてすむ、時代小説があればおしえてほしいです。」とのことだが、私がパッと思いついたのは、藤沢周平の『蟬しぐれ』(上・下巻、文春文庫)である。
 本書は、江戸時代中期の海坂藩を舞台に、青年・牧文四郎の友情・恋愛、一剣士としての成長が描かれる、藤沢文学の代表作。
 日本近世の歴史に詳しい方ならご承知のとおり、海坂藩という藩は存在しない。いくつかモデルとなった藩はあるものの、架空の藩である。
 このことを伝えると、次のようなツッコミをしたくなる人がいるかもしれない。「時代小説は、実在する人物や事件のダイナミズムを楽しむものでしょ」と。この意見、言いたくなる気持ちは分からなくはないが、賛同はできない。
 時代小説の面白さは、ある物語を通して、時代精神を味わえるところにあると思っている。「時代精神」とは、江戸中期なら江戸中期の生活者が共通して持っている感性や指向性のようなもので、それに触れることによって、あたかも江戸中期の世界に足を踏み入れたような感覚を楽しめる。

 舞台が架空の藩であり、著名な人物が登場しない時代小説であれば、「実証精神」からの抵抗感は生じにくい。
 ノイズを気にせず時代小説を楽しめる『蟬しぐれ』。ぜひ読んでみていただきたい。




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