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一貫性
私は何をもって人を信頼するのだろう、と考えたときに、真っ先に思い浮かんだのは「一貫性」である。
一貫性……簡単に噛み砕けば、この人が今日言っていること・やっていることは、明日も同じように実行されるだろうと思えること。ある程度の未来まで、相手の言動が予想できる。ここに見られる連続性を「一貫性」と呼んでいる。
一貫性がないということは、今日言っていること・やっていることを根拠に、明日以降の言動を予想できないということであり、何かを依頼するにしても、そこに不安定要素が生じることになる。
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以上述べてきた一貫性。この性質さえ備えていれば、相手を信頼できる……のかと言えば、実際のところそうはならない。
もう一つ、要求される性質があるとすれば、それは「柔軟性」ということになる。
「つねに一貫性を保つ、ということは、つねに靴下に合ったネクタイを締める、ということだ。今日の意見を明日また同じように持たねばならぬ、ということだ。それで、世界はどう動くだろうか?
だれかを傷つけるのでないかぎり、時には意見を変えるがいい。
恥ずかしからずに矛盾を持つのだ。あなたにはそうする権利がある。他人がどう思おうと関係ないーー他人など、いずれにせよ、なにかしらを思うのだから。」
(パウロ・コエーリョ著、木下眞穂訳『マクトゥーブ』角川文庫、P38)
一貫性と柔軟性。ざっくり分ければ、変わるな、と、変われ、ということになるが、これを両立することなど可能なのだろうか。
ここに求められるバランス感覚が、うまく表現されている指摘として、上記に作家のパウロ・コエーリョの文章を引いてみた。
ポイントになるのは、「恥ずかしからずに矛盾を持つのだ」だろうか。
実は上記の文章にさえも、「矛盾」と捉えられる要素が含まれている。「だれかを傷つけるのでないかぎり」と「他人がどう思おうと関係ない」の箇所。「意見を変える」ということは人を傷つける可能性があると指摘しながら、一方で他人の顔色を伺って「意見を変える」という権利を放棄するな、とも語る。
まさにここでコエーリョは、自ら「恥ずかしからずに矛盾を持つのだ」を実践しているとも言える。一貫性と柔軟性を両立するためのヒントは、ここにあるかもしれない。
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