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バス

 自宅に来てくれたら、晩ご飯にすき焼きをご馳走するよ、と友人からメッセージが届いた。
 最近会えていない友から連絡が来るときは、大抵飯の誘いである。そこを狙えば断ることはない、と思われているのだろう。

 すき焼きを食べたいのはやまやまだったが、すぐに「喜んで!」とは返せなかった。彼の住まいは、佛教大学の近くにある。こう説明して分かる人は少数かもしれない。とにかくあの周辺は勾配が厳しく、自転車移動がメインの人間には不便なエリアなのだ。
 20代前半のころであれば、すき焼きー!、と絶叫しながら、気合いで坂を駆け上がっていくことができたかもしれない。というか、実際にそれに近いことをしていた。だが、今の私には、そのような体力は残されていない。

 さて、どうしたものか。色々考えた挙句、辿り着いた結論は、バスに乗って行こう、というものだった。

 交通手段をバスに決めたのには、理由がある。ある本を、バスの中で読みたいと思ったからだ。
 平田俊子の『スバらしきバス』(ちくま文庫)である。タイトルのカタカナ表記。その素朴なセンスに心惹かれて手に取った本だったが、どうも家で読む気が起こらない。
 この本はバスで読むべきだなと思いあたったとき、だったら友人宅に行くのもバスにすればいいか、と手段が確定した。

「本を読むこと。景色を見ること。寝ること。ぼんやりすること。バスの中の楽しみはいくつもある。もちろんカフェでもそういうことはできるけれど、カフェはめったにゆれないし、窓の外の景色もあまり変わらない。でも、バスは心地よくゆれる。景色も刻々と変わるから面白い。
 車内で本を読むうちに、とろけるような睡魔に襲われる。ついうとうとしてしまい、はっと目が覚め、しまった乗り過ごしたとあわてて飛び降りると目的地はまだずっと先。そんなことを体験できるのもバスならではだ。カフェだとこうはいかない。」
平田俊子『スバらしきバス』ちくま文庫、P15)

 実際にバスにゆられながら本書を読んでいると、まあ頷ける箇所の多いこと。景色の移り変わりは格別であるし、ゆれの効果でうつらうつらとしてしまうのも分かる。「とろけるような睡魔」……まさにこれ、極上の表現。
 移動の先には、友人手製のすき焼きが待っている。それを意識しながら、本を読み、景色を眺め、うつらうつらする。
 いつからこんな贅沢な時間を過ごせるようになったのだろう。我が身のことながら驚いて、わざとらしくほっぺを抓ってみたりした。




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