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消滅

 先日、ある古本屋で十数冊の文庫本とお別れしたあと、その近所にある友人の家を訪ねた。
 急な訪問にもかかわらず、友人はあたたかく出迎えてくれる。軽井沢から取り寄せたというチーズケーキまでご馳走になった。
 このチーズケーキ。私の頭の中のイメージとは、明らかに次元が違うチーズケーキだった。口に含んだときの食感から、それは直感され、絶妙な甘さに、舌を巻く。ありのままの感想を口にすると、友人は「そうなんよ、うまいんよ」とご満悦。余程嬉しかったのか、どのようにこのチーズケーキと出会ったかを熱く語り始めた。
 この熱弁は、今食べているチーズケーキについてだけで終わることはなく、「これまで食べてきたチーズケーキ」に話が移っていく。あまりに次から次へと、店名と商品名が列挙されていくので、「そんなに前からチーズケーキ好きだったっけ?」と訊ねると、「いや、ハマったのは今年になってからやね」という。
 いったい友人に何があったんだ。

 友人曰く、運命の瞬間は、深夜のスーパーマーケットにて訪れた。小腹が空いていたので、たまたま目に入った市販のチーズケーキを買って食べたところ、意外にも旨い。美味しいやんと感心していると、ふと「いや、久しぶりに食べたから、旨いと感じただけでは?」という疑問が浮かぶ。そこから比較のための、チーズケーキ巡りが始まった。
 「あのときチーズケーキを買ってなかったら、ここ数ヶ月はまったく違うものになっていただろうね」、友人はしみじみ口にする。

 私はこのエピソードを、大変面白く聞いた。聞きながら、「あの監督が言っていたのは、まさにこういうことだな」と、ある本の一節を思い出していた。

「これから振ろうとしているサイコロの目1が出る世界と6が出る世界は、それぞれ違う世界です。サイコロが振られて1が出た瞬間に、その他の五つの世界は消滅する。そのようにしてわれわれは現実には、たった一つの世界しか生きられないわけですが、サイコロの目が出るその瞬間までは実は複数の世界が想像上生きられているとも言える。」
濱口竜介『他なる映画と 1』インスクリプト、P238)

 友人がもしスーパーマーケットで、チーズケーキではなく栗饅頭を購入していたら、チーズケーキ購入の先に待っていた新たな出会いは、すべて生じることがなかった。一方、もし栗饅頭を購入していたら、「ふつうに美味しい」と一言漏らして終わったかもしれないし、チーズケーキ同様、栗饅頭を巡る旅に出かけていたかもしれない。

 自身の選択によって、消滅してしまう世界のことを考えていたら、埒があかないが、何かを選択する際に、「もしこれをせずに、あれをしたら」と想像してみることには価値がある。
 チーズケーキについて熱く語る友人を見ながら、私はそんなことを考えたりした。




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