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シグナル
年末年始は、新鮮な気持ちで身体を休められる期間であるはずなのに、結局予定を詰め込みすぎて、逆に疲れていたりする。
2024年の年始に際しては、石川県能登地方を中心とする地震が発生したこともあり、その対応に追われて、身体を休めるどころではない、という方々もいる。
私は震災発生時、京都の自宅にいたが、それなりに嫌な揺れを感じ、床に積まれた本たちもぐらんぐらんと揺れていた。その後も余震が続いたこともあって、常に揺れの中にいるような酔いを覚えた。
なかなか辛い年初めである。
*
私は先程、年末年始の「疲れ」の話をしたが、ここでいう「疲れ」とは、決してそれ自体が不快であるわけではない。むしろ、心地よいものであったりもする。仕事の業務や作業に追われたあとの「疲れ」とは、明らかに異なるものである。
「「疲労感」と「疲労」は違います。「疲労感」は必ずしも「疲労」を反映しているわけではありません。そのことは、仕事でパソコンに向かっていると疲労感を覚えるけど、好きなゲームは長時間続けても疲労感を覚えないことでもおわかりいただけるでしょう。疲労感を測定しても、疲労の測定の代用にはならないのです。」
(近藤一博『疲労とはなにか』講談社、P20)
「疲労感」と「疲労」は異なる。「疲労感」は必ずしも「疲労」を反映しているわけではない。ーーこれらの指摘は、年末年始の「疲れ」と、仕事後の「疲れ」の違いを考える上で大変参考になる。
執筆者の近藤一博によれば、一般的に「疲労」という言葉が使われるとき、疲れたという感覚である「疲労感」と、疲労感の原因となる「体の障害や機能低下」の、二つの意味を含んでいる。この二つは同じようでいて、似て非なるものである。
「組織が障害されたことを知らせてくれる感覚が「痛み」であることはご存じでしょう。「疲労感」とは、障害される前にそろそろ危ないということを知らせてくれる感覚である、と考えることもできます。両者はともに「生体アラーム」と呼ばれる信号の一種とされています。」
(近藤一博『疲労とはなにか』講談社、P30)
当人に「疲労感」があっても、身体にさほどの障害や機能低下が見られない場合もあれば、休養や食事によって「疲労感」が払拭されたと感じていても、身体にはダメージが蓄積されたまま残っている可能性もある。
巷には「疲労感減少」を謳う栄養ドリンクが大量に流通し、それを糧に、日々の労働生活を耐え抜いている人も少なくない。ここでいう「疲労感」は、身体に蓄積していく「疲労」とは別物であることを意識し、自分の身心を労わることが大切である。
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