むなしさ
これだけコンテンツの溢れる世の中に生きていると、簡単に摂取過多になる。私も例外ではない。
魅力的なコンテンツが多いから、次から次へと頬張ってしまうが、うまく消化するためには、何も摂取しない時間を意識的に作る必要がある。
私の場合は、河川敷や寺社の境内に足を運び、適当なところに座って、ひたすら周囲の光景を眺める。境内の僧侶の、落ち葉を掃き集める姿をぼーっと観察したり、河川敷で弦楽器の練習をする人の、覚束ない音色に耳を傾けたり。
眺める、よりも、身をゆだねる、の方が感覚的には近いかもしれない。
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こういう時間を過ごしてみて気づくのは、書籍や映画を摂取しているときとはまた違った意味で、「考え込む」ことが多いという点だ。この「考え込む」には、多分に「思い悩む」が含まれており、パブリックなものに向けられていた眼差しが、一挙にプライベートな問題に注がれる。
これは決して心地良い体験とは言えない。
摂取休止期間に生じる、この不快な体験を、明瞭に指摘してくれているのが、精神分析学の専門家で作詞家の、きたやまおさむである。
きたやまは、人間の一生に存在する「間」に注目し、普段それは大量のコンテンツによって回避されているが、ふとその中に投げ込まれたとき、私たちは行き場のない「むなしさ」に襲われる、と説いている。
この「むなしさ」にはバリエーションがある。それは、外的な「むなしさ」と内的な「むなしさ」の二つだ。前者は、大切な人の喪失や相手からの裏切りなど、他者が原因となって起こる「むなしさ」。後者は、生き甲斐の喪失や無力感など、自分自身が原因となって起こる「むなしさ」である。
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外的・内的にかかわらず、「むなしさ」に襲われる時間というのは息苦しい。書籍や映画、音楽の世界に没頭して、できればそんな時間は回避してしまいたい。
ただ、あえてその時間を、外部によって急かされないで自分のペースで過ごせる機会であると捉えれば、少しはポジティブに「むなしさ」と向き合えるかもしれない。
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