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生成
自分の頭の中には、実際にあったこととして、明確に記憶されているのに、周囲に話しても「そんなことあったの?」と首を傾げられる経験がある。
小学校の低学年の頃、よく一緒に遊んでいた同級生の女の子がいた。遊びのメインはテレビゲームで、マリオカートや大乱闘スマッシュブラザーズといった、任天堂の定番ゲームで盛り上がったのを覚えている。
時期が夏であれば、その女の子の母親が、アイスクリームを振る舞ってくれた。ゲームするの疲れたから、一旦休もう。そう思い始めるベストなタイミングで、キンキンに冷えたアイスクリームが運ばれてくる。一縷の不満もない、夢のような時間だった。
不思議なことに、この思い出を周囲に話すと、「そんなことあったの?」と疑いの声が飛んでくる。とくに家族の反応は露骨で、「女の子と一緒に遊んでるの、見た覚えがないけど……」とくる。家に遊びに行っていたから、見てないのでは、と返しても、「うーん……」と納得してくれない。
*
「世界が僕の意識をつくった時に、それは作りそこなったとしか思えない場合もあった。子供の頃、可愛がっていた子猫が死に、彼は泣いた。泣いているうちに、泣声がとまらなくなり、何時までもしゃくり上げた。「そんなに泣く子はうちの子じゃありません。」そう言って母親が彼を叱った。きつい、厳しい顔で彼を叱った。叱ったのは私だったと、後になって叔母が自分で彼に教えた。しかし彼の記憶ではそれはどうしても母親だった。母親がごく稀に見せる、冷たい、威厳のある表情だった。どうして叔母であった筈があろう。もしそれが真実であるとすれば、その時の子供は彼ではなかった。」
(福永武彦『夢見る少年の昼と夜』小学館、P380〜381)
引用したのは、福永武彦の「死後」の一節。この箇所を読んだとき、パッと頭に到来したのが、冒頭のエピソードだった。
数十年経った今でも、重要な経験として思い出される記憶。その詳細が他者の証言と食い違うとき、どちらを信用すればいいか分からず、呆然としてしまう。
仮に、他者の指摘の方が正しいとすれば、私はどうして自身の記憶を書き換えるにいたったのか。
私はこれまでにも何度か、自身の転校生活について語ってきた。短い場合だと一年ちょっとで引っ越しせざるをえなくなる生活を繰り返していると、経験と場所がうまく一致しなくなっていく。例えば、家族でよく通っていた飲食店が、O県にあると思っていたのに、実はS県にあった、なんてことが起きる。
こうなると、女の子とゲームをして遊んだという記憶も、いくつかの思い出がごっちゃになって生成された、偽の思い出である可能性は捨て切れなくなる。とはいえ、ゲームをした部屋の雰囲気やらアイスクリームの盛られ方やら、多くの細かい点が生々しく思い出されるので、あれがすべてフェイクであるとすれば、一抹の寂しさも覚える。
本当か噓か、今となってはもう確かめようがない。……確かめられない方が幸せかもしれない。
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