旅立ちの時である新年 初釜で結び柳と白玉椿を飾るワケ|花の道しるべ from 京都
京都に住まう私たちの暮らしは、さまざまな年中行事に彩られている。お盆や五節句、祭礼などのハレの日には親族が集い、子供のころから何十年も同じように過ごしているという人が多い。たとえば、わが家では、節分は吉田神社と壬生寺へ、祇園祭は長刀鉾の町会所に、お盆は自宅から送り火に手を合わせるといった具合だ。
大晦日は八坂神社の「をけら詣り」へ
ハレの日の最たるものが、年末年始だろう。わが家では、毎年12月28日頃に、表玄関に「根曳きの松」、床の間に「七五三の若松」を飾る。依り代である松を飾って歳神を迎える準備を終えると、友人家族との年末旅行に出かける。1泊2日の強硬スケジュールで、大晦日の夕方には京都に戻り、八坂神社の「をけら詣り」へ。境内の「をけら灯籠」の火を吉兆縄に授かり、自宅に持ち帰って雑煮の火種とすることで無病息災を願うならわしだ。わが家は、早めの時間にお参りするので、持ち帰った火を年越しそばの火種にさせていただく。
今では危険防止のため電車やバスに火のついた火縄の持ち込みは禁止されているが、昔は一部の公共交通機関で火縄の持ち込みが認められていた。大らかな時代だったのだ。屋台で「前田のベビーカステラ」を買い求め、紅白を見ながら、大家族で鍋をつつく。最近のお気に入りは、「紫野和久傳」の合鴨鍋と京野菜鍋。京野菜鍋には「改進亭総本店」の猪肉を加えるのが、わが家流。少し時間をおいて、「ぎお門」「河道屋 養老」の年越しそばだ。年末年始は食べてばかりな気がする。
旅立ちの時である新年、茶の湯の初釜で飾る「結び柳」
曾祖母が裏千家の茶道教授をしていたので、家元の敷地内には「桃花亭」と名付けられた茶室がある。躙り口*1 を備えた畳の茶室だったが、祖父が応接にも使えるようにと考え、20年ほど前に床を落として、立礼*2 の茶室にした。今は叔母が茶道の稽古をしており、年が明けると、この茶室で初釜を開く。
待合に使う表座敷には、鏡餅ではなく、蓬莱飾り*を置く。大福茶をつくる時には、ここから梅と昆布をいただく。干し柿の並びは、両脇に二つずつ、真ん中に六つ、合わせて十並べる。「夫婦仲むつまじく」という言葉遊びだ。初釜の主菓子は、老松さんの「花びら餅」。好物なので、いつも数個多めに用意してもらい、後でこっそりいただく。
茶室の床の間には「結び柳」を飾る。柳を輪にして飾るのは、もともと中国の故事に由来する。「無事にまた帰ってきてほしい」という願いを込めて、柳を輪にして旅立ちの時に友に贈るならわしだ。これにちなみ、一年の旅立ちである新年に結び柳を飾り、「今年一年、皆が健康に過ごし、また新たな正月を迎えることができるように」との願いを託す。束ごと輪にする場合もあれば、束の中から1本を選び出し、残りの束の周りを結ぶ場合もある。柳には白玉椿を合わせる。椿は木偏に春という字をあてる通り、新春に欠かせない花だが、中でも凛とした空気感を醸し出す白玉椿は新年にふさわしい。
柳と椿、いずれも力強い生命力を持ち、たくましい植物だ。特に、柳の生命力は別格。柳の枝は切り花にしても、水に挿しておくと根が生え、地面に植えると再び大きく育つ。旅立ちにあたり友に贈るのも、納得できる。
いけばなの正月迎えも、茶の湯の正月迎えも、私が生まれる前から連綿と続いている。この3年は、日常があたりまえではないことを実感する日々だった。変わらないことは、ありがたい。今年も変わらず新年を迎えられる幸せをかみしめたいと思う。
文・写真=笹岡隆甫
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