自分を守るものを失っても、一歩前に進む気持ち|対談|小澤實×モモコグミカンパニー(BiSH)#3
俳人・小澤實さんが芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、俳人と俳句と旅の関係を深く考え続けた二十年間の集大成『芭蕉の風景(上・下)』(ウェッジ刊)が、好評発売中です。
そこで、俳句の魅力、芭蕉の魅力、旅の魅力について小澤さんと3人のゲストが語る対談をお送りします。お二人目は、“楽器を持たないパンクバンド”BiSHのメンバーで、今月初めての小説『御伽の国のみくる』を出版予定の、モモコグミカンパニーさん。
最終回となる今回は、新しい世界に踏み出す勇気について語り合います。
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≪お知らせ≫
小澤 實 著『芭蕉の風景(上・下)』が、第73回読売文学賞で随筆・紀行賞を受賞しました。おめでとうございます。小澤さんはご自身の句集『瞬間』で第57回読売文学賞詩歌俳句賞を受賞して以来、二度目の受賞となりました。
芭蕉のかわいい系俳句
モモコグミカンパニー(以下、モモコ):わたしたち世代は、芭蕉のことをあまり知らない人も多いと思うんです。そんな人の取っ掛かりになるような、お薦めの句があれば教えていただけますか。
小澤:何がいいかなあ……たとえばこんな句はどうかな。
初しぐれ猿も小蓑を欲しげなり 芭蕉
俳諧選集『猿蓑』所載。山道を歩いていると、初時雨が降ってきた。用意していた蓑を身につけると、猿も小蓑を欲しそうにしていたという句意[下巻162ページ]
蓑は、旅のときに身につけるコートみたいなものです。伊賀の山の中で、雨に濡れた猿が芭蕉の蓑を欲しそうに見ているんです。
モモコ:かわいいですね。情景が思い浮かびます。
小澤:こういうのもあります。
獺の祭見て来よ瀬田のおく 芭蕉
俳諧選集『花摘』所載。膳所(滋賀県大津市)に行く人に送った句で、瀬田川の奥に獺の祭を見てきなさいという句意。「獺の祭」は、獺が捕った魚を川岸に並べる習性を、祖先を祀っていると解釈した中国の暦が由来の季語[下巻177ページ]
この時季は、琵琶湖のそばの瀬田川の下流で、獺が捕った魚を並べているのが見られるので、行ってご覧なさいと友達に言っているわけです。
モモコ:かわいい。でも、また動物(笑)。「古池や」のカエルもそうですけど、動物の句がたくさん紹介されているんですね。
小澤:動物の句、おもしろいものがありますね。雑誌に連載をはじめたころは、いわゆる名句ばかり取材して書いていたのですが、それでは足りなくなって、有名ではない句にも踏み込んでいったら、それもすごく魅力的で。結局、芭蕉の句は、ゆっくり読んでみると、必ずいいものが潜んでいるということに気づかされました。
モモコ:わたしは、文学者の中では夏目漱石が好きなんですけど、先生みたいに辿ることができなくて、逆に知りすぎたら嫌いになるかもと不安になってしまうんです。深く知って、もっと好きになれるって、すてきですね。
小澤:漱石をお好きなの、いいですね。漱石は正岡子規の友達で、俳句も作っています。ぜひ深く読んでほしいです。芭蕉には、近づいてますます虜になってしまいましたね。幸せな経験をしました。芭蕉が現代に生きていたら、俳句論議をしたいくらい。
モモコ:わたしも見てみたい!
小澤:雑誌の連載を二冊の本にするため年代順に並べ直したら、芭蕉が生きている気配みたいなものがグッと迫ってきたんですよね。一回一回、バラバラに書いていたときにはかすかにしか感じなかったのに、僕自身もびっくりして……不思議な感覚を味わいました。
モモコ:それは絶対に本物ですよね。
エロチックな愛の告白
モモコ:本の中に、わたしのファンの人たちに紹介したい句があったんです。
我がきぬにふしみの桃の雫せよ 芭蕉
『野ざらし紀行』所載。西岸寺(京都市伏見区)の住職で俳人の任口上人への挨拶句。句意は、わが衣に桃の花の雫をこぼし、うるおしてください[上巻126ページ]
※この句に関する詳しい紹介はこちら
桃という植物には生命が満ちあふれているとか、すごく桃が良いものとして書かれていて。モモコグミカンパニーという名前なので嬉しかったです。それから、桃の花の雫には、どこかエロチックな印象さえあると。解説を読んでいたら、急にカタカナのエロチックが出てきたんです!! 桃にそういう意味があることを知らなかったので、びっくりしました。
小澤:そうとうなエロスですよ。上下巻の中で、この句が一番エロチックじゃないかな。八十歳のお坊さんに対して、愛の告白とも読める句を贈ったんですよね。
モモコ:桃の花の雫をこぼして、わたしの着物をうるおしてくださいという句意が、どうして愛の告白になるんですか?
小澤:西岸寺は、油懸地蔵とも呼ばれていて、お地蔵さんに油をかけて祈願すると、商売繁盛がかなうと信仰されるお寺なんです。だから芭蕉は、任口上人に油をかけさせてもらったお礼を伝えて、「今度はわたしの衣に、油ならぬ上人様の桃の雫をいただきたいものです」と興じているのだと思います。同性愛的に「わたしのことを愛して」と誘うような感じ。高齢のお坊さんに、エロチックなことを言って、興じているんです。
モモコ:八十歳のお坊さんに?! そういうことだったとは……なんだか物語が始まりそうですね。
小澤:もちろん、それだけではなくて、桃の雫の霊力によって長生きしてほしいという気持ちもあるでしょうね。
モモコ:エロチックな印象の句があるということに驚きました。「芭蕉も人間なんだ!」と一気に親近感が湧きましたね。
小澤:同性愛の意味合いを一番まっすぐ句に乗せているのは、これかもしれない。面白い句を選びましたね。
新しい世界に踏み出す勇気
モモコ:一つ気になったことがあります。小澤先生は、主君の蟬吟*が若くして亡くなったから、芭蕉は自由な才能を開花させていったと書かれていました。もし蟬吟がずっと生きていたら、芭蕉の才能は開花しなかっただろうと思うのはどうしてですか?
*伊賀を統括する上野城の侍大将、藤堂新七郎良精の嫡男良忠。蟬吟は俳号。芭蕉は二歳年長の蟬吟に近習として仕え、ともに俳諧を学んでいたが、蟬吟は二十五歳の若さで急逝した。
小澤:蟬吟が生きていれば、芭蕉は生活が保障されていた。だから、詩人として新たに踏み出したり、俳句の新たな方法を発明したりする必要がなかったわけです。伊賀上野から出ることもなかったんじゃないかな。ずっとお城と家を往復するだけの生活で、旅も一切せず、蟬吟に仕える貞門*俳人として、ことば遊びの俳句を作るだけの存在で生涯を終えていた可能性が高いと思います。上質な句は作り続けただろうけど、後世への贈り物となるような俳句は作れたかどうかはわからない。
*松永貞徳を中心とする俳諧の流派、その俳風。古典を踏まえた上品なことば遊びを特徴とし、江戸初期に隆盛したが、西山宗因を中心とする談林の台頭とともに衰退した。
モモコ:芭蕉は、そういう生活で満足するような人間だった?
小澤:それはわからないけど、蟬吟を亡くした悲しみの中からこそ抜け出して、なんとか俳諧を続けていきたいと模索し、いろいろな経験を重ねていったから、「芭蕉」になれたのだと感じています。
モモコ:自分を守ってくれるものを失っても、未知の世界へ踏み出せば、また新しい世界が広がり、人生が開ける。現代のわたしたちにも、一歩踏み出す勇気を与えてくれる逸話ですね。芭蕉は過去の人間で、わたしたちとは別のような気がしてしまうけど、そこを区切る必要はないんだなと思わされました。温故知新というか……。芭蕉と自分と重ね合わせるのもおこがましいですけど、すごく共感できました。
実はわたしも、一歩踏み出さなきゃと思って、初めて長編小説*を書いたんです。ずっと書きたい気持ちはあったけど、長編は手の届かない存在だと考えていました。でも、自分の殻を破りたくて、一歩踏み出すなら、そこしかないなと思って、どうなるかわからないけど、とりあえず手をつけてみようと書きはじめたんです。わたしにとって、とても大きい一歩でした。
*『御伽の国のみくる』
アイドルの夢破れ、メイド喫茶でバイトの日々を送る友美。裏切り、妬み、失望の果てに、彼女が見つけた答えとは……。3月19日、河出書房新社から刊行予定。
小澤:どのくらいの期間かけて書いたんですか?
モモコ:一年ぐらいです。めちゃくちゃ大変でした。一回、五千字ぐらい書いてみて、それで断念しちゃったんです。そのまま何カ月も書けなくて……わたし本当に何も続かないんですよ。でも、やっぱり本にしたいから、あとちょっと、あとちょっとって、マラソンみたいにがんばって書き上げました。
小澤先生は、持続することの大事さっていうのを本の中で繰り返し書いていらっしゃいますよね。『芭蕉の風景』を読んで、有名な人を根本から辿っていくことが、どれほど大切なことかよくわかりました。基本が学べるし、芯が強くなれる気がします。先生のように、わたしも漱石とか自分が興味ある人を辿ってみたいです。
小澤:いいですね。思いたったが吉日、一番好きなものを辿ってください。
モモコ:小澤先生も、誰かに辿られると思います。未来のなんとか時代に。わたし、小澤先生に初めてお会いしたときに、めちゃくちゃ風格があるな、この方の俳句は信頼できるんだろうなって感じたんです。芭蕉を辿り終えたことから、にじみ出るオーラがあったのかなって思います。
小澤:いや、僕は辿られるより辿るのがいいかな(笑)。モモコさんこそ辿られてください。
モモコ:いえそんな。でも、私は辿られたいかな……辿られるような人間になりたいです。
撮影:佐々木謙一
撮影協力:フライング・ブックス(渋谷)
スタイリング(小澤 實):佐野 旬
『芭蕉の風景』をめぐっての対談もいよいよ終盤。次回からは3回シリーズの予定で、歴史学者の磯田道史先生と、小沢實さんの対談をお送りします。磯田先生と俳句の浅からぬ因縁とは? ご期待ください(第1回は3月中旬予定)。
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小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年(1956)、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。このほど『芭蕉の風景』(ウェッジ)で、第73回読売文学賞随筆・紀行賞を受賞した。
モモコグミカンパニー
“楽器を持たないパンクバンド”BiSHのメンバー。2015年3月に活動開始した同グループの結成時からのメンバーであり、最も多くの楽曲で作詞を手がける。2018年3月に初の著書『目を合わせるということ』(シンコーミュージック)、2020年12月に2冊目のエッセイ集『きみが夢にでてきたよ』(SW)を上梓。その独自の世界観は圧倒的な支持を得ている。2022年3月には初の小説『御伽の国のみくる』(河出書房新社)を発表予定。BiSHは、2021年8月に発売したメジャー4thアルバム『GOiNG TO DESTRUCTiON』が3作連続・通算3作目のオリコンチャート1位を獲得。昨年は第72回NHK紅白歌合戦に出場、また年末の解散発表が話題を呼んだ。
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