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庭掃いて出でばや寺に散る柳|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載がまもなく書籍化されます。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)』(2021年10月19日発売、ウェッジ刊 ※予約受付中)より抜粋してお届けします。

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いていでばや寺にちる柳 芭蕉

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『おくのほそ道』二本の柳

『おくのほそ道』の旅の同行者、曾良そらは体調を損ねたとして、芭蕉に先行し、伊勢へと向かう。以後、芭蕉の正確な旅程はわからなくなる。記録者曾良と別行動になったためである。

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河合曾良:松尾芭蕉の『奥の細道』における奥州・北陸の旅に同行した弟子。蕉門十哲の一人とされる

 元禄二(1689)年旧暦八月五日、曾良は一人山中温泉を発って、加賀大聖寺だいしょうじにある、曹洞宗の寺、全昌寺ぜんしょうじへと向かうのである。そこで二泊して、七日には発っている。『おくのほそ道』には、「曾良も前の夜この寺に泊まりて」と書いている。これを信じれば、芭蕉は八月七日の夜、この寺に滞在したことになる。

 二人ともに訪れているのは、ここが山中温泉で世話になった宿、泉屋の菩提寺で、主、久米之助の紹介があったからだろう。当時の和尚が久米之助の伯父であったという説もあるようだ。

 ただ、『おくのほそ道』の「大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊まる」という書き振りは、どこか心細げである。同行しているはずの北枝ほくしも、文中に姿を見せない。ここは同行者だった曾良との別れを、反芻し確かめる箇所になっているのである。今日はこの全昌寺を訪れてみたい。

 掲出句は紀行文『おくのほそ道』所載。句意は「庭を掃いて出たいなあ、寺中に柳が散っている」。

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 北陸本線大聖寺駅下車。駅前の観光案内板の地図を見て歩き出す。商店街はしだいにまばらとなり、十分ほどで全昌寺に着く。山門脇に「はせを塚」という古い句碑がある。大聖寺の俳人二宮木圭ふたみやぼくけいが建てたもの。中七が「いづるや」となっているが、これは版本を基にしたための誤りであるようだ。

 正しい句形の句碑も『おくのほそ道』のこの寺の項全体を引用したかたちで建てられている。柳の木も植えられていた。それほど太くない。何代目かのものであろう。ぼくが訪れたのは、八月の末であったが、すでに葉は枯れ始めていた。

 掲出句はこの寺を去ろうとしている場面で詠まれている。

「今日は越前の国へと、心早卒そうそつにして堂下に下るを、若き僧ども紙硯しけんをかかへ、階の下まで追ひ来る。をりふし庭中の柳散れば」と書かれてある。意味は「今日は越前の国(現在の福井県東部)へ向おうと、心あわただしく堂の下へと降りるのを、若い僧たちが紙と硯とをかかえて追って来る。ちょうど庭の柳が散っていたので」。

 そして掲出句が置かれる。即興的に詠まれた句として扱われている。寺に一宿して去る際には、庭を掃き清めるのが、礼儀である。しかし、急ぎの旅のため、それがかなわない。思いを残しつつ去ろうというわけだ。

 掲出句を置いた後、芭蕉は「とりあへぬさまして、草鞋ながら書き捨つ」と書く。意味は「さしあたっての様子で、草鞋をはいたまま書き捨てた」。「書き捨つ」とあるところからも、それほどの句ではないと思っていた。

 ところが、『おくのほそ道』の前半に次の句があったことを想い出した。「田一枚植て立去る柳かな」遊行柳ゆぎょうやなぎの句である。田植のころの緑の濃い柳である。紀行文の前半と後半とに一本ずつ柳の木が置かれて、その木の様子の違いによって、夏から秋への容赦のない時間の経過が示されていたのである。

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曾良の秀吟を引き立てる

 この寺では、曾良も句を作り、いずれ来る芭蕉のために残していった。「よもすがら秋風聞くや裏の山」。句意は「一晩中、秋草を聞いていることだよ。裏の山を吹きわたる秋風を」。曾良は芭蕉と別れた後のさみしさの深さに眠れなかったのだ。

『おくのほそ道』には曾良の句も多く引かれているが、この句が最後となる。曾良の句は理屈っぽいものが多い。たとえば、松島では次の句を残している。「松島や鶴に身を借れほととぎす」。句にはみごとな景色への素直な感動は示されない。それよりも、松島という最高の名所にふさわしい姿を、頭で判断しているていの句である。

 そういう句を作っていた曾良が、別れた後、ここまで率直な句を残しているのである。別れの前に作られた「行き行きて倒れ伏すとも萩の原」とともに、曾良の成長ぶりを示した句であると言っていい。「行き行きて」の句意は「行くところまで行って倒れ伏すようなことがあったとしても、萩の咲く原だとしたら本望だ」。

『おくのほそ道』には「夜もすがら」の句を引用したあと、次のように記す。「一夜のへだて、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮しゅりょうに臥せば(以下略)」。意味は「わずか一里の隔てだが、さながら千里を隔てる思いである。わたしも同じく秋風を聞いて、修行僧の寮舎に横になると」。

 曾良の句を読んだ芭蕉は、俗謡の歌詞を思わせるまでに、曾良を激しく恋う。そして、曾良の句の世界に従うように、秋風を聞くのだった。この寺での曾良の句と芭蕉の句の高下を言ったら、真情あふれる曾良の句のほうがずっと上ではないか。

 芭蕉はあえて「書き捨」てた即興句を置いて、曾良の秀吟を引き立てているのである。上達ぶりをしかと示して、永かった同行への感謝の意を表しているわけである。ただ芭蕉の句の「散る柳」は夜通しの秋風が散らせたもの。曾良が聴覚で捉えた秋風の名残りを見せてくれているのだ。

 全昌寺は墓山を背に建っていた。つまり、曾良と芭蕉と別々に秋風を聞いた、裏山がそのままに残っているのだった。本堂に祀られている杉風作の芭蕉像を拝した後、堂の裏手に出ると、山裾の部分には、ぎっしりと秋海棠しゅうかいどうが咲き満ちていた。かなへびが這い出て花陰に姿を消した。秋海棠の上には竹が密生している。全山、蟬が鳴きしきっていた。みんみん蟬、油蟬、つくつくほうしも聞こえる。

 燦燦と蟬鳴くばかり裏の山 實
 裏の山数へえて蟬三種まで

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秋海棠の花

※この記事は2005年に取材したものです

小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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※本書に写真は収録されておりません

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