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遠野遥/破局
もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら
優れた作品は独特のリズムがあり、読み始めは多少の違和感を抱くものの、気づけば虜になっている。中毒性があるのだ。
村上春樹や川上未映子の作品に通じるものがある。
読み終わる頃には、口癖として使いたい、真似たいと思っているのだ。
少し前に、『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』という本が一部の文学好きの間で話題になったのはご存知だろうか。
あの本がまさにわかりやすく、文豪によってそれぞれ文体に特徴があることを面白おかしく紹介してくれている。
『破局』もクセになる文体だ。読んでいて不安な気持ちになるが、読み終える頃には気づけば真似ている。
『焼きそば破局』
僭越ながら、『破局』に置き換えたらどうなるか私なりに挑んでみた。
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カップ焼きそばを買いに服を着て家を出た。コンビニで出会った女にわざと足をぶつけようとした。が、自分が公務員試験を受けようとしていることを思ってやめた。公務員を志す人間が、そのような卑劣な行為に及ぶべきではなかった。
肩の上に青のりが乗っかっているのを認めた。焼きそばの美味しさを際立てたであろうこの青のりは、床に落ちた今、ただのゴミになろうとしていた。私はこの青のりをなんとかしてやりたくなった。
辛子マヨネーズを入れるのはマナーに反するので、私はソースのみ容器に入れた。それから私は、時間を気にすることもなく、リラックスして灯との食事を楽しんだ。灯は美味しいと幸福そうに笑っていた。それを見た私も幸福だったか?焼きそばの麺はふざけているのかと思うほど太かったが、灯は気に入ったようだった。
腹が満たされ安心した。安心したということはつまり私は腹が減っていたのだ。
私はこのまま、眠ることに決めた。私はいつだって、眠りたいときはすぐに寝付くことができるのだ。
本題に入ろう
まず、読了された方々に問いたい。ゾンビ、サイコパス、新時代の虚無等々、散々な言われようの主人公、陽介だが、彼はそんなに特殊だろうか。
なぜなら、私は彼に共感した。
人間所詮こんなものではないだろうか。
性欲、食欲、睡眠欲、この三大欲求に忠実に従い生きている。
短絡的で、人に対して興味がさほどない。
あえて明言する必要もないし、するような場面もないけれど、「人が好き。」とか言っているような輩とはまず距離を置きたいし、陽介に対し嫌悪感しか抱かない方とはおそらく友好な関係は築けないだろう。
陽介という人物に迫ることが、この作品について考えるということに直結している気がするので下記に描写から拾い上げた陽介の人物像をまとめる。
ルール/マナー/エチケットへのこだわり(行動にはすべて理屈ありき)
【ルール】
利き手ではない手を用いることによって他人に性器を触られている錯覚に陥り射精に至るまでの時間を短縮することができるから自慰には左手を使う
公務員を志す人間は卑劣な行為に及ぶべきではないから及ばない
いつでも正気を保っていたいから酔うまで酒を飲んだりはしない
法律で禁止されているため未成年に酒を飲ませるわけにはいかないと考える
父の言いつけを守りたいから女性には優しくする
セックスするのは気持ちいいから好きだけど女性が望まないセックスは論外だと考える
彼氏である自分は灯の下着を見ることもあるが他人の男にはその権利はないからそれをやめさせなくてはならないと考える
雨に濡れてしまうといけないから傘は自分のを使うべきだと考える
相手が謝罪の言葉を口にしても謝って済む話でなければ犯した罪はしっかりと償わせてやらないといけないと考える
【マナー】
肉や酒を振る舞ってもらっている以上自分から話題を提供するのがマナーだと考える
肉だけで腹を満たすのはマナーに反すると考える
笑うのを期待しているような話しぶりなら笑うのが礼儀だと考える
ひとりだけ酒を飲むのはマナーに反するのでアイスコーヒーを頼む
次に使用する人間のことを考えていない身勝手でマナーに反する行為であると考え男女共用のトイレで便座を上げたままにしていく男が物心ついたときからずっと許せないでいる
顔についた精液をぬぐいたくても麻衣子が自分を見ているうちはやめたほうがいいと思いぬぐわない
セックスの最中に眠るのは助手席で眠るのと同様にマナーに反すると考える
金を払わず席を使わせてもらうのはマナーに反するので体調不良でもアイスコーヒーを注文する
【エチケット】
体が臭うと周囲の人間に迷惑がかかると考える
男の左腕に触れながら喋ってしまったが汗をかいていたから控えたほうがよかったと考える
自分の足が臭うのではないかと心配になる
歯磨きを一度怠ったことで口の中がここまで臭くなるのは人間の設計にそもそも誤りがあるとしか思えないと嘆く
突然の事態に対応しきれない
一つめの、破局への引き金となるポイントだ。
【対応能力がない】
正解がわからないままトイレを出る
言うべきことがひとつも思いつかない
それ以外にどうすればいいのかわからなかった為麻衣子を中に入れる
どれかを選ぶということは、どれかを選ばないことを意味するが、今の私にはとても、そんなことはできそうにないと感じている
吐き気を抑えるためには、アイスコーヒーを飲んだほうがいいのか、どうなのかわからない
自身が何かを言わなくてはいけない番なのだと気づくのに時間がかかる
弁解しようとしたが、考えがまったくまとまらない
ストイック/興味がない/情緒がない
【ストイック】
トレーニングで限界まで自分を追い込みたいと日課のメニューをこなす
いつものコースを走る
現役時代は自分をゾンビだと思い込みタックルを繰り返していた
指導している選手たちのことも執拗に追い込む
【興味がない】
佐々木が涙ぐんでいても白けた気分になりしばらく肉を食うことに集中する
麻衣子のワンピースを褒めたことについて覚えていない
灯を想い自慰行為に耽った直後に麻衣子に夢の中でもいい気分でいて欲しいと考える
麻衣子について紋切り型の定型文でしか語れない
別れた麻衣子を見て人間の口や鼻や目は穴なのだと感想を抱く
【情緒がない】
そよ風が心地よく暑くも寒くもなく腹は旨い肉で満たされているという理由から今日はきっといい一日になるだろうと考える
桜とほかの木の区別がつかない
一瞬、ずっと前から自分は悲しかったのではないかという仮説に辿り着くものの、すぐに状況的に悲しむ理由がないということは悲しくないということだと、けろっとしてしまう
内に潜む衝動
二つめの、破局への引き金となるポイントだ。
【内に潜む衝動】
女にわざと脚をぶつけようとする。
彼女のことを知りたくて中身を見ようとした。
勃起した男性器を押しつけられるのは、いったいどんな気分か。興奮するか。もっと押しつけて欲しいか。熱いか。硬いか。
ドアに手をついて逃げ場をなくし、男の目を覗き込んだ。
誰か憂さ晴らしの相手がいればいいのだが、と考えた。
自分の気持ちさえわからない/客観的/他人事
【自分の気持ちさえわかならい/客観的/他人事】
安心した安心したということはつまり私は彼女の具合がよくなればいいと願っていたのだとようやく気がつく
灯は嬉しそうに笑ったのを見てそれを見た私も嬉しかったか?と疑問系で確信ではない
佐々木の家に行くのはつまり、肉を食うためだ、ということを発見したとあるように客観的
自身の声が弾んでいることを不思議に思い、少し考えてから肉を食っているためだとわかる
灯は私の下で幸福そうに笑っているのを見てそれを見た私も幸福だったか?とやはり疑問系
そんな彼も灯ちゃんが好き
三つめの、破局への引き金となるポイントだ。 なんて皮肉なことなのだろう。
【灯ちゃんが好き】※以下本文より引用
なぜか灯に膝のことを知って欲しかった。
何が面白いのかは、私にもわからなかった。とにかく笑えて仕方なかった。
顔は灯に似ていなかったから、私はそれ以上女を見なかった。
私は灯に飲み物を買ってやれなかったことを、ひどく残念に思った。すると、突然涙があふれ、止まらなくなった。
灯にはいつも笑っていて欲しい
灯は正面から見るよりも横顔の方が美しい。
灯が戻ったら、灯が私にして欲しいことを真っ先に聞かないといけない。
本当なら灯を抱き締めたいが、灯は今ここにいないから、そのかわりだった。
この物語が悲しいのは、抗うことが出来ない不条理もそうだが、灯を想う時や感情が爆発している時でさえ、彼は自身の感情について曖昧である点だ
彼が日頃、ルールやマナーに忠実に従い、幾度となく祈る行為を繰り返すことで保たれていた均衡は、ある日突然、いともたやすく雪崩のごとく崩れ去る。
しかも、皮肉なことに人を好きになるという感情が原因だ。 彼の周囲とは少し異なる、その独特の感性がすべて裏目裏目に出る。
道の真ん中で見ず知らずの人間に抱き締められ、激しく暴れ、肘が男の顎を打つ。謝って済む話ではなく、犯した罪はしっかりと償わせてやらないといけないと、さらに男の股間を蹴り上げる。いよいよ怒り心頭といった様子で襲いかかる男に拳を固める。 彼が追いかけていたのは灯であった筈なのに、気づけば、どうでもいい女の逃げる姿と何ら関係のない殴り飛ばした男がいるだけだ。
これを不条理と呼ばずして何と呼ぶのか。 既に充分悲しいが、何よりつらいのは、感情が爆発している時でさえ、陽介は自身の感情に対して曖昧である点だ。
【感情的なのに曖昧】
弁解をしようとしたが考えがまったくまとまらない
違うんだと言った声が少し大きすぎる声が出てしまい目の前の道を歩いていた若い女に怯えたように見られる
話しかけている人間を無視するのはやめておいたほうがいいだろうと思う
結局何を叫べばいいのかわからない
自身をひどく失望させる行為だったはずだが疲れていたからもう何かを思ったりはできない
恋と不条理
どちらも自分ではどうしようもない、外からの力だ。理屈も通じない。
陽介では対応しきれないのだ。
言語化し説明することなどできないのだから。
茄子のような色、ハムのような色、晴れた日の空に似た色
陽介はラスト三頁、雲ひとつないよく晴れた空を見る。
空を見上げるのは久しぶりで、もっと早く見るべきだったと知り、彼らにとってもそのほうがいいだろうと、警官にも見て欲しいと願う。 空を指差そうとするも許されず腕は地面に落とされる。
警官らが自分の言うことを信じたことが嬉しく顔が綻ぶも、なぜ綻んだのか、嬉しかったからだと理解するまでも、やはり時間がかかる。
さらには、こんな時でさえ彼は、三大欲求に抗えず、眠りにつくのだ。
この物語に救いがあるとするならば、それは、ワンピースの色を表す比喩表現ではないかと、私は感じた。
「茄子のような色」
「ハムのような色」
「チョコレートケーキのような色」
いかにも、情緒がない、欲求のみに従い生きている陽介が思い浮かべそうな喩えだが、最後、
「晴れた日の空に似た色」
と、喩えるのだ。
陽介は悲しきモンスターだろうか? 他人事だろうか? 誰もがいつでも陥る可能性がある穴なのではないだろうか?
人生の破局の場面は、すぐそこに待ち構えているのではないだろうか。