伊坂幸太郎/逆ソクラテス
各章少年の視点で語られる連作短編集だ。
とても暖かい筆致で描かれている。
この作品は、
【自分の視座をきちんと持つこと】
【見た目や周りの意見に流されず真実や本質を見抜く力】
が、いかに大切か教えてくれる。
これは、大人の世界でも子供の世界でも共通だ。
ビジネスシーンにおいて
SNSの世界において
メディアリテラシーという言葉もあるように、マスメディア、ニュースを観るにあたって
人を見た目や職種で判断していないか
力がある人の意見に流されていないか
きちんと観て聴いて調べて考えて判断しているだろうか。
視座を持つ。
みる力、よみとく力は、人間力だ。
それは即ち生きる力である。
改めて、強く感じた。
各章のタイトルも、
・逆ソクラテス
・スロウではない
・非オプティマス
・アンスポーツマンライク
・逆ワシントン
というように、全てに逆説的な意味合いの単語が付いている点においても、メッセージ性がうかがえる。
逆ソクラテス
本人に自覚があるかどうかはわからないが、先入観を植え付ける大人はいる。
「僕はそうは思わない」
フルスイングで先入観をぶっとばせ。
ラストは少し物悲しくもあたたかい、爽やかな作品だ。
スロウではない
『ドラゴンボール』に出てくるピッコロは、重いマントを身に付け修行をし、戦いの時が来るとそれを脱ぐ。地面に落ちたマントが、どさっという信じられないほど重い音を立て、ピッコロはいよいよ本当の力を出すのだ。
各章どれも爽快だが、この章は、ずば抜けている。
しかし、勧善懲悪ではない。各人物によって視点が違えば裏切られたと感じる者もいるかもしれない。
幼い子供だってきちんと考えて判断した。大人である私たちも判断を鈍らせてはいけない。
この章で一番好きなのは、
という台詞だ。磯憲という教師(とても共感を覚える登場人物)がいるのだが、この人物の台詞だ。
このブタゴリラを見つめる視点こそが大切なのではないだろうか。
非オプティマス
普段出入りしている業者さんが、突然お客様として来店された事がある。
同僚は、お人好しすぎるくらい誰に対しても優しく丁寧で親切だ。
そんなことを思い出した。
評判が人をつくるとはよく言ったものだ。
肝に銘じて、日々を過ごそうと改めて、そう感じた。
アンスポーツマンライク
一番好きな章だ。
その行為そのものは、バスケットボールの試合においては間違いなく"アンスポーツマンライク"というファウルだ。
だが、今回ばかりは人を救う。
中でも、やはり磯憲の言葉に共感の嵐だった。
人間はいいもんじゃないと考えている。面倒で厄介だ。怖くもある。
だからこそ、きちんと対応しなくてはならない。
だからこそ、憎むべきではない。
誰にでも、あり得る側面だ。
人は皆、愚かで愛おしい。
そのチャンスは平等に与えられていいと思う。
逆ワシントン
最後の章の最初に繰り広げられる親子の会話は、まるで、これまでの章を、この本全体を批判している。
非常に面白い出だしだ。
では、特別でなくても、みんなに認められる方法とは何か、と話し合う。
そして、"真面目で約束を守る人間が勝つ"という母の持論に行き着く。
そんな親子はテレビを買いに出かける。
そこに、アンスポーツマンライクの登場人物が登場する。
売り場のテレビの中では、遅咲きの元ユーチューバーが、バスケットボールの試合、残りゼロ秒で見事な大逆転をきめている。
その画面を、目を真っ赤にして涙を滲ませながら見つめている真面目な店員にも小さな逆転が訪れるのだ。
"真面目で約束を守る人間が勝つ"という持論を持つこの母が、値切ろうとしていたテレビを、「もう、さっきのテレビ買いますよ。値段そのままでいいから」と伝える、小さな小さな逆転が。
こうありたい、が詰まっている
この作品に登場する大人は、大体みな優しい。
その見地も素晴らしい。
"こうありたい"が詰まっている。
目指したのが今作だと語られている。
結果的には、教訓話、綺麗事じみていないといえば嘘になるが、読んだ者誰もが現実的なものとし受け止め、生活とリンクさせながら考える時間を持つ事ができる作品が世に放たれたと私は感じた。
コロナ禍、おうちに居る時間が長い今こそ、親子で読んでみてもいいのかもしれない。それこそ、最終章の親子のように、団欒の場で話し合ってみてもいい。大人も自分自身を見つめ直す時間は必要だし、案外子供の方が真っ向から世界を見つめているかもしれない。